気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2013年8月12日月曜日
山中湖のボート乗り場の鯉
山中湖のアヒルボートならぬスワンボート乗り場桟橋にお集まりの鯉の皆さんであるのである。
最初は気が付かなかったのであるが、桟橋を歩くと鯉の皆さんがぞろぞろとお集まりになってくるのである。
これは、ボート乗り場のお仕事の皆さんが餌付けをしてるせいなのか、観光客が菓子なんかをやるからなのかわからんんが、桟橋を歩く振動で鯉が集まってくるのである。
鯉の皆さんは集まると、餌を食うために水面に顔を出して口をパクパクやってるのである。
でも、あたしは餌をやらないので、集まった鯉の皆さんは、しばらくすると諦めたのか、三々五々解散されたのである。
なにごともこれが生命体の本性であるのであるが、人間もオイシイものがあるところにどどっと集まって、なにもないとどどっと引いて、だーれもいなくなるのである。
まあ、人間のことわざで言えば、金の切れ目が縁の切れ目であるのである。
あれこれキレイ事を言っても、オイシイことがなにもないところに長居は無用であるのはこの世のことわりであるが、慌てるなんとかはもらいが少ないてなことわざもあるように、他の鯉が「なーんだ、なんにもくれねーのかよ、行こ行こ」と去った後に残ってると、もしかしたら菓子の食いかけをもらえることもあるかもしれないのである。
しかし、あたしはお菓子を持ってないので、そんなことを期待して残っていても無駄であるのである。
鯉の人生も人間の人生もつまるところは同じであるわけであるが、鯉の場合は人生ではなく鯉生であるかもしれないのであるがものすごくどーでもいいことであるのはゆーまでもないことであるのである。
そんなら言わなくてもいいじゃないかとゆーご意見もあるのはごもっともであるが、なんか書かないと尺が埋まらないので痛し痒しここが気持ちいいのであるのである。
さすがにおつむのちょーしのいい読者諸兄諸姉の皆さんはこのへんで、あたしが鯉になんの興味もないので、でたらめにキーボードを叩いてるだけだとゆーことに気がついているとは思うが、もしかしたら、この先とんでもない宇宙の深遠をのぞき見る展開を用意してるかもしれないので、諦めずに続きを読んでもらいたいもんであるのである。
でも、飽きたので終わり。
読者が飽きる前に自分が飽きてしまったのである。
残念ながら宇宙の深遠はなかったのである。
意表をつく展開であるのであるが、しまいには誰かに注意されるのである。
Camera:LUMIX DMC-FH6
写真でポン