気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2013年3月24日日曜日
佃島
月島にもんじゃ焼きを食いに来たついでに、佃島界隈を散策であるのである。
佃島とは東京都中央区南東部、隅田(すみだ)川左岸にある旧地区名であるのである。
現在は佃1丁目が正式名で、現在の佃2丁目旧石川島にあたるのであるのである。
佃島は隅田川が晴海(はるみ)運河とよぶ支流と分かれる河口の三角州からなる島であったが、その後の埋立てで、北の石川島、南の月島と地続きになったのであるのである。
この地はかつては名もなき小島であったつーことであるが、江戸初期、かの徳川家康との縁故によって、摂津(大阪府)西成郡佃村の名主の孫右衛門(まごえもん)てなお人が漁夫30余名を連れて移住し、郷里の名である佃を島名としたのであるつーよーなことであるのであるが、あたしが見たわけではないのでもちろん聞きかじりであるのである。
将軍家献上のシラウオや諸侯に納めた魚類の残りの雑魚(ざこ)を味つけして煮つめたのがお馴染みの佃煮で、江戸名物として現在に至っているつーことであるのである。
それで、まあ、あたしは子供の頃から佃島には佃煮屋が棟を並べて賑わってるのかと思っていたのであるが、それがすっからかんで、どこに佃煮屋があるのかもわからないてな風景であるのである。
佃島といえば、江戸の下町情緒を残した風情風景の町並みという印象があるわけであるが、これが、月島同様にどんどん近代的な高層マンションが立ち並んで、どこに下町情緒があるのかてな悲しい状況が目の前に展開されて、あたしゃ心がこよなくびっくりねであるのである。
まあ、それでも、隅田川からの引き込みには釣り船が数隻係留してあり、船宿てな看板もあったりして、もしかするとこれが情報喧伝されている今も残る江戸の下町情緒であるのかもしれないということを理解したのである。
もちろん写真は下町情緒中心であるのである。
まあ、それで、その残り少ない下町情緒と高層マンションの間をうろうろこれでもかと歩きまわって佃煮屋を探しても見つからないのである。
それで、通りがかった様子のいい粋なおばさまに「佃煮屋が並んでるのはどのへんでしょうか?」と聞いたら「あっちの方ですよ」というので、指差す方角に怒涛の進軍で歩を進めてその付近にご到着遊ばしたらば、佃煮丸久、天安本店、佃源田中屋てな3軒の佃煮屋さんがあるだけであるのである。
これも残り少ない佃島の佃煮屋であるのか、最初からこの3軒であるのかは定かで無いのであるが、まあ、とにかく、おみやげの佃煮を買いましょうとゆーことで、ア・タ・シ的にはいちばんそれらしい雰囲気の天安本店でアミとイカとオカカと昆布とエビと雑魚の佃煮の詰め合わせを買ったのであるが、写真が包装紙のビニールの反射でへっぽこになってしまったのである。
つーことで大変美味しゅうございましたのである。
象さんのご飯かよ。
Camera:GalaxyⅢα
写真でポン