気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2013年3月21日木曜日
月島西中通り商店街
東京都中央区の月島(つきしま)である。
いきなり思いつきでもんじゃ焼きが食いたくなって、東京メトロに乗ってわざわざ月島までお越しになったのである。
これ、おそらくなんかの旅番組でタレントが月島のもんじゃを食ってたのが脳裏にあって、いきなり食いたくなったんだろうと思うのであるが、あたしの思いつきはだいたい仕事をしながらつけっぱなしのテレビからの影響であるのである。
月島は中央区沿岸部、月島1号地にあたり、月島2・3号地は勝どき、月島4号地は晴海にあたり、現在は月島の町域外になるつーことであるのである。
1892年(明治25年)の「東京湾澪浚(みおさらい)計画」てな計画に基づき、東京湾から浚渫(しゅんせつ)した土砂を利用して埋め立てられ、1号地(現 月島)として佃島から先の砂州を埋め立て、続いて27年に2号地(現 勝どき)、29年に新佃島(現 佃2 ・ 3丁目)が完成したつーよーなことであるのである。
埋立当時の月島や新佃島周辺は殖産興国という国策に沿い重工業地帯とされ、隣接した石川島造船所に関連した鉄工所が多く造られ、工場、商店が多かったつーことで、下町の印象が強かったのであるが、実際に行ってみると現在ではあちこちに高層マンションが立ち並び、下町の風景はどんどん過去のものとなっているてな感じであるのである。
月島の地名はかつて東京湾内にあった月の岬という月見の名所から名付けられたてなことであるが、もちろんそれが現在の月島のどこであるのかは定かでないのである。
ご存知の通り、月島もんじゃてなことで、月島はもんじゃ焼きが有名であるのである。
東京メトロ月島駅の7番出口から出てすぐの月島西仲通り商店街には70軒以上のもんじゃ焼きの看板やのれんを出した店が軒を連ねているのであるのである。
もうこれがびっくりするような、よくできた長い商店街で、まあ、行けども行けどももんじゃ焼きの店が並んでいるのである。
「ううむ、今日は休日つーこともあると思うが商店街の道路は歩行者天国になってるし、なかなか商店街各振興会の皆さんの息が合ってうまくできてるではないか、けっこうけっこう、町おこしはこーでなくてはいけませんよ」
てな、まったくの思いつきで来たわりには上から目線であれこれあら探しをしながらあちこちうろうろして、善光寺別院月島開運観音堂にお参りしてお礼よいしょの言の葉をこれでもかと咆哮して、通りがかりの店でもんじゃを食ってビールを飲んで、もんじゃを食ったら胃が刺激されてさらに腹がへったので帰りにでかいメロンパンを買って食ったのである。
まあ、時は移り人は集まり流れ街は変わり時代は休みなく変遷するわけであるが、あたしはその時間の中にほんの一瞬に存在する閃光であるのである。
いや、なんか書かないと尺が埋まらんから。
Camera:GalaxyⅢα
写真でポン