気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2016年7月13日水曜日
タイ・バンコクのベンジャシリ公園で鳩を追い払う子供
まあ、なんである、ベンジャシリ公園である。
この公園はいつもお買い物やお食事に行くバンコクBTSのプロンポン駅近くにある48ヘクタールの広大な施設である。
タイ語でベンジャシリとは「幸運・栄光の集まり」てな意味合いで、シリキット現王妃の還暦を祝して1992年08月05日に開園したのであるつーことである。
中央には大きな池があって、その周囲にお子様の遊戯施設やランニングあるいはウォーキングあるいはお散歩の周回道路があるのである。
この辺りは外個人が多く住むいわゆるベッドタウンで、世界各国の皆さんが入り乱れておられて、バンコクは国際色豊かであるなあと実感されるのである。
近くには日本人街と呼ばれる通りもあって、この公園にも子供を連れた日本人の奥様がちらほらおられるのである。
日本の奥様のファッションは一種独特で、どこでもひと目でそれとわかるのである。
これは日本人であるあたしだけの感覚かというとそうではなくて、タイ人の知人も同様の感じを受けるそうである。
まあ、なんとも言いようがない感覚であるが、日本人ここにありというよーな、わかったようでわからんあのねのねである。
公園の入り口で池の魚の餌を売ってるのであるが、その餌を池に投げ入れたものが、軽いので風で飛ばされて芝生にも広がって、それを目当てに鳩の皆さんが群れをなしてお集まりになるのである。
その鳩をどういうわけか3人のお子様が真剣に追い払っておられるのであるが、近くにおられるお母様の言葉を聞いていると、どうもロシア人の皆さんであるらしいのである。
まあ、公園ではタイ語はもちろんのことフランス語やスペイン語やわけのわからん言語が多々飛び交っているので、考えも行動も判断しにくいのであるが、どうもこのお子様たちの行動は、魚の餌を鳩が食うのはけしからんということかもしれないのである。
まあ、もちろんお子様たちに聞いたわけではないので定かではないのである。
公園の周囲には近代的なビルが立ち並んで、プロンポン駅周辺には通勤やビジネスの人が緊張した面持ちで忙しく歩いておられて、日本の都心の風景となんら変わらんバンコクのあれこれであるが、それでも南国独特のお気楽さがなんともいえない風情を醸しだしているのである。
あたしは「人生は物見遊山」あるいは「人生は死ぬまでの暇つぶし」を座右の銘あるいは家訓あるいはあらうふんとしているのであるが、なんの役にもたたない無駄の積み重ねで毎日が終焉に向かってまっしぐらという感じもないではないのである。
まあ、あと50年ぐらいは楽しむ予定であるが、医者にも行かかないし、健康診断も受けないので、いつお亡くなりになるかもお楽しみのひとつである。
てなことである。
いやー、極楽極楽。
2016年7月3日日曜日
タイ・バンコクのアジアティーク・ザ・リバーフロント
タイ・バンコクのチャオプラヤー川沿いにあるアジアティーク・ザ・リバーフロント(ASIATIQUE THE REVEFRONT)てな遊園地も含んだいわゆるテーマパーク的な巨大ショッピングセンターに物見遊山に行ってみたのである。
アジアティークは1800年代後半、シャム王国(現在のタイ王国)にデンマークのイースト・アジアティーク社がチーク材を海外に送り出すための最初の船着き場とした場所である。
アジアティーク・ザ・リバーフロントはその当時の建物や倉庫などを利用した巨大商業施設である。
バンコクには巨大なショッピングセンターやデパートがあちこちにあってお楽しみは尽きないのであるが、いずれにしても貧富の差が大きいので、バンコク周辺の富裕層や外国人観光客のお楽しみであるわけである。
アジアティーク・ザ・リバーフロントはウォーターフロント地区、チャルンクルン地区、タウン・スクエア地区、ファクトリー地区と4つの地区に分かれていて、この動画はそのうちの一番人気のウォーターフロント地区である。
とにかく巨大な施設で、4つの地区全体で物販店が1500店舗,レストランが40店舗てなことであるので、全部見ようと思うと近所のホテルに泊まりがけになるのである。
バンコクはチャオプラヤー川の水上交通を中心に流通していることもあって、この施設からもあちこちの船着場へ行き来できるのである。
でかい観覧車もあるので、とにもかくにも乗ってみるのである。
観覧車からの風景はチャオプラヤー川の流れを望んで、なかなかの絶景である。
一番手前に見える赤い屋根の建物は仏教寺院のワット・ラート・シンコン(Wat Ratcha Singkhorn)で、川上に見えるのはバンコク中心部のビル群である。
河畔の300mに及ぶ遊歩道には、当時の荷役に従事した人の像が立っているのである。
時は流れ時代は代わり、当時のイースト・アジアティーク社の栄華を偲ぶ倉庫はショッピングセンターやレストランとなり、歴史の重みを少しも感じさせないお楽しみの場へと変容したのである。
まあ、なんである、こんな自堕落なお楽しみばかりを追い求める日々でも、あたしの人生は絶え間なく流れ時代は代わり、果てしなく宇宙の進化にミクロナノレベルよりも小さな影響を与えて、それはそれなりにこの世の成り立ち組成に組みしているわけである。
遊園地から宇宙の進化をあれこれである。
ううむ、今ひとつ笑いがとれないのである。
アジアティーク・ザ・リバーフロントはナイトマーケットあるいはナイトスポットてな触れ込みであるので、夜が本番である。
まあ、なにしろタイの昼間は暑いので、お楽しみは夜がよろしいわけである。
チャオプラヤー川の夜景も含めて、いわゆるバンコクのデートスポットであるかもしれないのであるが、まあ、そこはそれ、それぞれのお楽しみであるのはいうまでもないことである。
2016年6月17日金曜日
タイのアユタヤに行く途中で酔っぱらいのおじさんにからまれながらボートヌードルを食う
タイランド王国バンコクのラチャダムリに象気功タイ本部を立ち上げて以来、タイと日本を行ったり来たりで、あたしゃけっこう長い間タイ王国に住んでおられるのであるが、天下の世界遺産であるアユタヤにおいでになったことがないので、今回、タイ本部マンションを解約するにあたって一大決心して、勇躍ご来駕の運びとなったのである。
その途中で立ち寄った1/4 HOME Cafeてなお店で、ボート・ヌードル(クイッティアオ・ルア)てな1杯20バーツのラーメンをお召し上がりなってたら、ちょうどおいでになっていた地元の酔っぱらいのおじさんにからまれて、「オウ、ジャパーニーズ、ブッダブッダ」とブッダサインをお見舞いされたのである。
おじさんはしばらく大騒ぎしてから、ご自分の席に戻って眠ってしまったのである。
店のママさんがこの酔っぱらいのおじさんに丁寧にお話になっておられたので、地元のご隠居さんで、毎日行きつけのこの店で暇つぶししてるお得意さんという感じである。
このボートヌードルが実に美味くて、量も少ないので、何杯でも食いたくなるのであるが、実際に15杯ぐらい食う人もいるそうであるので、いわば、わんこそばの類いであるかもしれないのである。
アユタヤはいわゆる堀としての運河をめぐらした都市であるので、ボートヌードルはその運河の船上で食べたことによるネーミングであるわけである。
他ではアユタヤボートヌードルということで1杯10バーツで食えるところもあるので、エアコンの効いたこの店の値段であるかもしれないのである。
本来はボートヌードルはおじさんの向こうに見えるエアコン無しのテラスになった別棟で食うのであるが、あたしは観光客であるので、喫茶の方に運んでくれたのである。
いっしょに頼んだコーヒーは一杯35バーツであるので、ラーメンよりコーヒーの方が高いわけである。
35バーツだけにカップがでかいのであるが、なにしろ暑いのでそれでも足りないのである。
氷も全部ガリガリ食いたいのであるが、あたってとんでもない下痢になって、一晩中トイレで寝ていたことがあるので、我慢したのである。
窓から見える景色がバンコクとちがっていかにもタイの田舎で、ラーメンを食いながら酔っぱらいのおじさんにからまれて、しばしの極楽に心も緩んでなにやらそこはかとなく生きる喜びをひしひしと感じるのであるが、ひしひしは違うかもしれないのである。
まあ、現実の日本に住もうか極楽のタイに住もうかと選択に迷うわけであるが、今回のご滞在を最後にタイ本部を解約するということで、しばらくは日本定住ということであるわけである。
とにもかくにも人生はなるようにしかならんので、みごとにてきとーに流されて生きるわけである。
ラーメンと酔っぱらいのおじさんから人生の極意を俯瞰である。
写真でポン
その途中で立ち寄った1/4 HOME Cafeてなお店で、ボート・ヌードル(クイッティアオ・ルア)てな1杯20バーツのラーメンをお召し上がりなってたら、ちょうどおいでになっていた地元の酔っぱらいのおじさんにからまれて、「オウ、ジャパーニーズ、ブッダブッダ」とブッダサインをお見舞いされたのである。
おじさんはしばらく大騒ぎしてから、ご自分の席に戻って眠ってしまったのである。
店のママさんがこの酔っぱらいのおじさんに丁寧にお話になっておられたので、地元のご隠居さんで、毎日行きつけのこの店で暇つぶししてるお得意さんという感じである。
このボートヌードルが実に美味くて、量も少ないので、何杯でも食いたくなるのであるが、実際に15杯ぐらい食う人もいるそうであるので、いわば、わんこそばの類いであるかもしれないのである。
アユタヤはいわゆる堀としての運河をめぐらした都市であるので、ボートヌードルはその運河の船上で食べたことによるネーミングであるわけである。
他ではアユタヤボートヌードルということで1杯10バーツで食えるところもあるので、エアコンの効いたこの店の値段であるかもしれないのである。
本来はボートヌードルはおじさんの向こうに見えるエアコン無しのテラスになった別棟で食うのであるが、あたしは観光客であるので、喫茶の方に運んでくれたのである。
いっしょに頼んだコーヒーは一杯35バーツであるので、ラーメンよりコーヒーの方が高いわけである。
35バーツだけにカップがでかいのであるが、なにしろ暑いのでそれでも足りないのである。
氷も全部ガリガリ食いたいのであるが、あたってとんでもない下痢になって、一晩中トイレで寝ていたことがあるので、我慢したのである。
窓から見える景色がバンコクとちがっていかにもタイの田舎で、ラーメンを食いながら酔っぱらいのおじさんにからまれて、しばしの極楽に心も緩んでなにやらそこはかとなく生きる喜びをひしひしと感じるのであるが、ひしひしは違うかもしれないのである。
まあ、現実の日本に住もうか極楽のタイに住もうかと選択に迷うわけであるが、今回のご滞在を最後にタイ本部を解約するということで、しばらくは日本定住ということであるわけである。
とにもかくにも人生はなるようにしかならんので、みごとにてきとーに流されて生きるわけである。
ラーメンと酔っぱらいのおじさんから人生の極意を俯瞰である。
2016年5月18日水曜日
富士山五合目駐車場から登山道を佐藤小屋まで歩いてみる
富士山五合目駐車場の土産物屋の展望台に上ると、世界各国外国人観光客の皆さんが富士山をバックに記念写真を撮るのに大騒ぎである。
あたしも海外旅行で観光地に行った時は覚えがあるので、あたしら庶民は国によらずさもありなんということである。
不思議な光景であるが、その土産物屋の前の広場で客待ちしている馬である。
馬子のおじさんがいなくても、おとなしくじーっと立っている、聞き分けのいい馬である。
その他にも十数頭の聞き分けのいい馬が柵に入ったり、そのへんに繋がれたりしてじーっと立っているのである。
五合目駐車場に観光バスで怒涛の勢いで訪れる観光客は、ちゅーごくの皆さんを中心とした世界各国外国人の観光バスツアーの皆さんであるので、時間の限られたツアーの途中のこの場でご乗馬を楽しもうなんていう人はどうもおられないのである。
それでも、時折、日本人のご家族連れのお子様がお乗りになって、駐車場を一周なされたりしているのである。
それで、馬は料金によっては登山道を六合目方向に向かうので、その中途にある佐藤小屋あたりはどうなってるのかということで、あたしも歩いてみたのである。
登山道を佐藤小屋の方向に30分ほど歩いた景色であるが、冒頭に見えるのが山中湖で、左側が河口湖と河口湖町である。
まあ、いわゆる絶景で、山中湖も河口湖町も手が届きそうに大変近くに見えるが、大変遠くであるのは言うまでもないことである。
さらに五分ほど歩いて、六合目登山道と吉田口下山道との分岐点に出たのであるが、残念ながら六合目方面はまだ通行止めで、佐藤小屋を目の前にして、五合目駐車場にご帰還なされることにしたのである。
ここまでは五合目駐車場から下り坂をスタコラと30分も歩いて来たのであるが、帰るとなると、当たり前であるが30分の登り坂になるのである。
体力自慢でよかったよかった、つーことである。
2016年4月7日木曜日
上田城
上田城は長野県上田市二の丸にあった日本の城である。
なお、現在残っている城は、仙石忠政によって寛永年間に再建築城されたものである。
上の写真は東虎口櫓門と左が南櫓で右が北櫓である。
某国営放送の大河ドラマ真田丸でも頻繁に出てくるシーンである。
上田城にはいわゆる天守閣があったのかなかったのか不明であるという説が主流であるので、上田城と言えばこの東虎口櫓門であるのである。
北櫓である。
櫓の土台となっている巨大な石は真田石と呼ばれ、戦国時代はこのような大石を大手門の石垣に用いることが権力の大きさの象徴とされたということである。
まあ、このような大石を動かすだけでも当時の技術では大変であったろうから、さもありなんということである。
北櫓である。
同様に真田石が使われているのである。
東虎口櫓門の奥に見えるのは本丸跡に鎮座する真田神社である。
南櫓から見える風景である。
敵が攻めてくるとここから「ああ、来ちゃったよー、まいったなあ」とご覧になっていたわけである。
信之の奥方である小松姫は旅の途中の鴻巣宿にてお亡くなりになったのであるが、その亡骸を上田へ運んだという駕籠である。
まあ、今で言う霊柩車であるかもしれないのである。
南櫓と東虎口門と北櫓は渡り廊下でつながっているのであるが、当時はどうであったかはわからないのである。
当時の火縄銃である。
まあ、弓よりは射程距離が大きくて威力がある反面、連射が効かないので、実践では2列3列に鉄砲隊を配置したりしたと思うのであるが、どーだかわからないので、お好きな方は調べてお楽しみ頂きたいのである。
西櫓である。
この櫓の下に堀がめぐらされていたわけであるが、現在は駐車場になっているのである。
上田城の東虎口櫓門の前にある観光協会のそば屋で「上田城二の丸御膳そば」を食ったのである。
おはぎ付きである。
このそばが予想に反して美味いのである。
予想に反してというのは実に失礼な表現であるが、あたしがこれまでに食したそばの中でも最上位ランクに入るぐらいに美味いのである。
上田城に行ったら観光協会のそば屋のそばである。
まあ、そうは言ってもあたしにとって美味いのであって、人によってはそーでもない場合もあるのは言うまでもないことである。
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