気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2016年4月7日木曜日
上田城
上田城は長野県上田市二の丸にあった日本の城である。
なお、現在残っている城は、仙石忠政によって寛永年間に再建築城されたものである。
上の写真は東虎口櫓門と左が南櫓で右が北櫓である。
某国営放送の大河ドラマ真田丸でも頻繁に出てくるシーンである。
上田城にはいわゆる天守閣があったのかなかったのか不明であるという説が主流であるので、上田城と言えばこの東虎口櫓門であるのである。
北櫓である。
櫓の土台となっている巨大な石は真田石と呼ばれ、戦国時代はこのような大石を大手門の石垣に用いることが権力の大きさの象徴とされたということである。
まあ、このような大石を動かすだけでも当時の技術では大変であったろうから、さもありなんということである。
北櫓である。
同様に真田石が使われているのである。
東虎口櫓門の奥に見えるのは本丸跡に鎮座する真田神社である。
南櫓から見える風景である。
敵が攻めてくるとここから「ああ、来ちゃったよー、まいったなあ」とご覧になっていたわけである。
信之の奥方である小松姫は旅の途中の鴻巣宿にてお亡くなりになったのであるが、その亡骸を上田へ運んだという駕籠である。
まあ、今で言う霊柩車であるかもしれないのである。
南櫓と東虎口門と北櫓は渡り廊下でつながっているのであるが、当時はどうであったかはわからないのである。
当時の火縄銃である。
まあ、弓よりは射程距離が大きくて威力がある反面、連射が効かないので、実践では2列3列に鉄砲隊を配置したりしたと思うのであるが、どーだかわからないので、お好きな方は調べてお楽しみ頂きたいのである。
西櫓である。
この櫓の下に堀がめぐらされていたわけであるが、現在は駐車場になっているのである。
上田城の東虎口櫓門の前にある観光協会のそば屋で「上田城二の丸御膳そば」を食ったのである。
おはぎ付きである。
このそばが予想に反して美味いのである。
予想に反してというのは実に失礼な表現であるが、あたしがこれまでに食したそばの中でも最上位ランクに入るぐらいに美味いのである。
上田城に行ったら観光協会のそば屋のそばである。
まあ、そうは言ってもあたしにとって美味いのであって、人によってはそーでもない場合もあるのは言うまでもないことである。
写真でポン