気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2012年4月1日日曜日
成田山出世稲荷神社
千葉県成田市にある成田山新勝寺の境内横に鎮座する成田山出世稲荷神社である。
まあ、全国にいくつもある出世稲荷神社の一社で、この成田山出世稲荷は市谷亀岡八幡宮の出世稲荷神社の御分霊を祀ったものであると言われているのである。
ご利益は出世・開運であるのである。
なにしろ出世して開運してしまうわけであるから、ありがたいことこの上ない神社であるのである。
まあ、この成田山出世稲荷も日本の各地にある寺院の鎮守稲荷と同様に仏教の神様である荼枳尼天を御神体として祀り、真言は「ノーマクサンマンダキリカクソワカ」であるのであると社の祭壇の説明書きに書いてあるのである。
まあ、稲荷といえば狐であるが、この成田山出世稲荷も境内はおもいっきりの狐だらけであるのである。
いくつもの小さな祠(ほこら)にそれぞれ鳥居があり、狐を置いてあるので、これ、農地などのあちこちに点在していて行き場のなくなった稲荷の祠をここに集めてお祀りしてるんだろうと思うのであるが、稲荷さんに聞いてみたわけではないので定かではないのである。
あたしのような大霊能者でも、うかつに霊能スイッチを入れて霊界通信を仕掛けたりすると、稲荷さんはとんでもないタタリ神罰をもってお応えになるので、うっかり友だち感覚で話しかけたりしてはいけないのである。
稲荷さんはものすごい我がままであるのである。
稲荷さんに一度でも祈願諸願お願いてなことをしたら、一生にわたって足を運んで、徹底的にお礼をしないとご機嫌を損ねるのである。
その場だけの物見遊山でお参りなんてのはもっての他である。
まあ、だいぶ前にうちの敷地にある稲荷神社の社(やしろ)の建て直しを出入りの実直誠実謹厳な工事会社のしゃちょーに頼んだら、「稲荷はタタルからやだ」と断られて、他の会社に頼んだことがあるのであるが、とくに工事関係の人は稲荷さんにはとても神経質で、当たらず触らずなのである。
おおこわ。
つーことで、とにかく稲荷神社にお参りしたときは、商売繁盛や立身出世などのお願いごとをするなんてことはもってのほかで、ひたすらお礼を申し上げて、「あんたはえらい!、いよっ稲荷の親方!大将!粋だね渋いね!こんなに赤が似合うのはあんたと還暦のじじいだけだよこの色男!」と褒め上げおだて上げるのが正しい参拝の作法であるのである。
ううむ、よけい怒るかな。
Camera:RICOH GRD Ⅲ
写真サイト