気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年2月21日月曜日
明治座のテーブル
Tableとは食卓のことであるのである。
食卓は祭壇である。
神への供物を置く場所である。
神への供物とは人間が食するものである。
神とは人間のその内なるものであるからである。
祭壇であるから、神聖でなければならないのである。
あだやおろそかに不浄のものを置いたりすると、そこは神の場所ではなくなるのである。
何も無いということが即ち清浄であるということであるのである。
清浄な場所に食を供え、神であるあなたの肉と成すのである。
生命の基である食の想念が集まる場であるから、テーブルは祭壇となり神の社(やしろ)としての波動を生み出しそれを受ける者の内なる神はその波動に共振するのである。
つーことで、このテーブルは「象のご飯」でも取り上げた、明治座の会場の入り口の前のソファのテーブルであるのである。
観覧者が会場に入る前に腹ごしらえしたりするためのテーブルであるのである。
あたしはこの祭壇に赤ワインとアイスクリームをお供えしたのである。
神の社(やしろ)は、かくのごとく赤がよろしいのである。
まあ、このEXILIMはコンセプトが携帯に便利てなことで、写りを気にしていないコンパクトデジカメであるので、写りは四苦八苦であるのであるが、唯一、発色がなかなかおもしろいので、なにげないこのようなテーブルも、フロアの絨毯とコラボするとこのような色合いになるわけである。
Camera : CASIO EXILIM EX Z-330
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