2020年1月27日月曜日

新倉山浅間公園の五重塔と富士山の絶景ポイントまで登る



静岡県富士吉田市にある新倉山浅間公園(あらくらやませんげんこうえん)の展望台から富士山と五重塔がいっしょに撮れる絶景ポイントがあるのは、昨今つとに有名である。

春には、満開の桜もアングルに入って、海外の観光客にとっては桜と五重塔と富士山という日本を代表するアイテムがそろうわけである。

しかし、この日は桜は見た通りの枝桜であるので、いまひとつであるかもしれないのである。

山梨県が2011年にタイ王国の観光会社へアピールしたことと、このポイントから撮れる写真がタイの教科書にのったてなことで、山の中腹にある五重塔から登るときからタイ人のおにーさんおねーさんがわんさかである。

まあ、一時期タイに象気功タイ本部という名の別邸をおいていて、いわゆる日本とタイを行き来してたので、タイで有名な景色というのをとにもかくにも一度見てみたかったこともあって、この日のご来駕となったわけである。

もちろん気功師として、癒しの風景はその後の記憶による効果も含めて氣の養生にも深くかかわることであるので、絶景ともなれば、この日の強風をものともせずにお登りになったわけである。

こじつけかよ。


まっかっかに塗られ鉄筋コンクリート製の五重塔「忠霊塔」は高さ約19.5mで、明治時代以降に戦没した市内出身者を合祀するため1962年に建立されたのである。

しらんがな。

まあ、とにもかくにも、ガイドブックなどの影響もあり、「CHUREITO」てなことで、くだんのタイ人をはじめとして訪日外国人観光客からも大人気であるというが、この日にこの五重塔をためつすがめつ見てたのはあたしだけである。

このようにホントのことをいうと各関係に角が立つのであるが、たいして見る人がいなかったんだからしょーがないじゃん。


それで五重塔から山道をえんやこらと登ると、あちこちに掲載されて有名になったこの絶景ポイントに無事到着するのである。

つまり誰でもこのポイントまで登ればこのお写真が撮れるわけであるので、カメラマン気分が味わえるということもあるかもしれないが、あたし的にはあれこれであまりにも見慣れた光景でそれほど感慨にふけることもあるのである。

あるのかよ。



もちろん、おもにタイ人のおにーちゃんおねーちゃんが折からの強風にもめげずに、次から次へと登ってきてごった返しているのであるが、みんなスマホで撮影に夢中である。

撮った写真はどこの国のおねーちゃんおにーちゃんもSNSにアップするてなことであると思うが、しかし、世界中でカメラよりもスマホであろうから、カメラメーカーはたいへんねとどーでもいい感慨にふけってしまうわけがないのである。

ふけらないのかよ。


とにもかくにもこの日は平日でこの騒ぎであるから、日本人観光客もおしよせる日曜祝祭日はいったいどんな混乱なのか想像するに心がウキウキするが、いずれにしてもタイ人の皆さんと同様に撮ってきたものはアウトプットしないと心がウキウキしないわけである。

しないのかよ。

ああ、しなくていいのか。

ややこしいな。


この展望台の上方にある明治大帝つまり明治天皇の像であるが、この像で笑いをとろうとしたりしてへたにいじるとろくなことにならんので、大帝閣下にはたいへん申しわけないが、とくにボケもツッコミもオチもないのである。

それでふつーだろ。

そらそうだ。

あらま、素直な象師匠って好きよ。

たのむからあっち行ってくれ。

見えない人に話しかけるのはよしなさい。

2020年1月5日日曜日

令和二年正月の鎌倉を食う


まあ、なんである、本来は「気功師の食事」にアップするべきであるが、方丈の流れをくむ由緒正しいれっきとした百姓の我が家の伝統で、今後の氣の修行とご挨拶もかねて毎年鶴岡八幡宮に参拝して鎌倉の食をことほぐわけである。

上の写真は鶴岡八幡宮の境内に入る大鳥居をくぐってすぐ左手にある葉山の老舗料理店の日影茶屋による茶寮「風の杜」のありがたーい「餅入りぜんざい650円」である。

しらんがな。

この店の外見をつらつらご覧になって、どうも以前と雰囲気が変わったなと思ったら、去年の6月にリニューアルしたつーことである。

どーでもいいのである。


風の杜の売りは窓からの神奈川県立近代美術館を向こうにした源平池のながめであるが、これも食えないのでどーでもいいのである。

食いものしか興味がねーのかよ。

ねーのである。

鎌倉に来たら海鮮料理で酒を飲むというのがあたしの氣のさらなる精進であるが、これがね、昨今の鎌倉はテレビ番組で頻繁に取り上げられるせいか、小町通りも若宮大路も、にーちゃんねーちゃんであふれかえって大混乱でアップルパイだの鎌倉プリンだのてな店にぎょーれつができて、どうも海鮮料理てなものはさっぱり流行らないらしく、どんどんおなくなりになって見つけるのに往生する始末である。

このキャーキャーワイワイの騒乱を見てると、ああ、もう鎌倉も文化果つる最果ての地となって、あたしら作家の行く場所はなくなってしまうのかと覚悟を決めねばならん事態になってるのかもしれないのである。

誰が作家だ。

はいはい。


それで、若宮大路壇葛付近の路地をうろうろしてようやく「仁遊人」という酒飲みの聖地的なおもむきのある店を発見したのである。

ローマ字で「jiyoujin」とふってあるので、自由人をもじってると思うが、これも食えるわけではないのでどーでもいいのである。


それで、酒といえばやっぱり刺身であるので、食事もかねて刺身定食をご注文遊ばして、とりあえずのビールである。

ああ、なんとか今日のところは氣の昇華ための鎌倉詣での目的もいかばかりか果たして、ビールの後は久保田でのどを潤しアジをアジわうてなダジャレも出る喜びをしみじみとアジわい、深い夜のしじまに溶け込むあれれこれである。

つまんねーやつだなー。

安直なパクりまで動員して、どうしてもぶち壊さないと気がすまないのねアナタったら。


それで、暴飲酒乱の一夜が明けて翌日の、壇葛入口付近にあるホテル鎌倉moriの中華朝食である。

この朝食は、あたしの中では、ホテルでうまいと思う唯一の朝食である。

まあ、ご飯が中国粥であるので、ほとんど水分で、とんでもなくカロリーが低く、ダイエットにいそしむ方にはよろしいと思うが、巨大などんぶりのかゆを完食しても、あたしの場合は少し歩くとはらへってフラフラよてな具合である。

それでも毎年鎌倉にお泊りしたらかならず朝はこれである。

でも、くだんのにーちゃんねーちゃん大混乱の事情で、海鮮料理食って酒飲む店がどんどんなくなって、もしかすると今年で鎌倉詣ではおしまいかもしれないと危機感もつのる今日この頃である。

氣の精進のためには、バカ食いを旨とするあたしも、氣の製造元の血液血管によろしいDHAとEPAを摂取すべく立ち回るのは当然である。

「何言ってやがる、単なる酒のサカナじゃねーか」といわれればぐうの音もプーの音も出ないが、日本酒にあうのはやはり海鮮料理であるのは論を俟たないところである。

もちろん、おフランス料理にはワイン、中華には紹興酒、韓国料理にはマッコリ、沖罠料理には泡盛、タイ料理にはシンハービール、ううむ、どーでもいい、思いっきりくだらん。


そんなこんなで水仙で有名な瑞泉寺に霊氣神氣を受けに来たら腹へったので、おやつに何か食いたいなてなことで「かえで茶屋」てな店を見つけたのである。


おもいっきりの精進料理的な品揃えであるので、ますますの血液サラサラよてな具合でさらに氣は高まり鎌倉詣でのご利益いかばかりかと涙もあふれてウソ泣きしてしまうくらいのあれこれである。

とにかくおやつに赤飯であるので、これはめでたいつーことで今年もラッキーな一年であるのは約束されたようなもんである。

ありがたいありがたい。

なんでも一応ありがたがっとけば無難であるので、ゆーとけゆーとけである。

2019年12月16日月曜日

高幡不動尊のござれ市で連獅子の黒塗り彫金小屏風を買う



まあ、高幡不動尊の境内では毎月第三日曜にござれ市てないわゆる骨董市あるいはごみの市が開かれるのであるが、この日は今年最後のござれ市である。


もちろん、あたしにとってはごみの市であるが、そこはそれ趣味マニアの人にとっては宝の山であるので、失礼きわまりない言い方であるのはいうまでもないことである。


この日も100店舗近く出店しているのであるが、ぐるぐると3回廻っても、宝物に出会うことはなくて、ゴミの山を徘徊するばかりである。


興味がほとんどないので、いったいなんなのかもわからんものばかりであるが、もしかすると某鑑定団に出せば数百万円のものも隠れていいるかもしれないのである。


このどうみてもガラクタにみえる石の類いだって、ヒスイやメノウかもしれないし、中にはエメラルドとかルビーやサファイヤてなものが混じっているかもしれないのである。


てなことを妄想しながら歩いてたら、裏の方にものすごくわけのわからない展示物を見つけたのである。

いままでみたことがない店で、今回が初めてである。


展示物の意図がよくわからん店で、実に不思議なものばかり売ってるのであるが、別にお化け屋敷ではないのである。


寄ってみると子供とトリの合体したトリ子供とか、わけのわからん石であるとか、金網のかごに入った動物の頭蓋骨てな、いわゆるアートらしいのである。

トリ子供であるから、トリエンナーレの津田さん関係かというと、別に表現の自由をあれこれしてるようすもないし、もちろん寺の境内であるからおコツがいろいろあっても別に問題はないわけである。

トリ子供のアートは少し気に入ったが、これを道場に飾ると弟子が減るだろうし、人形関係は憑いた霊をあれこれするのがめんどくさいので、お買い上げは控えたのである。


まあ、ひたすら気味の悪いものをアートとして表現しているのかもしれないが、いったいこれを家の装飾品としてお買い上げになるもの好き、いや失礼、マニアがいるのかどうなのか、どなたの作品がしらんが大きなお世話で心配してしまうのである。

このござれ市にはときどき画家さんなどが自ら作品を販売してるので、まあ、いわゆる骨董ではなく、なんでもござれのござれ市ということで、そのうちのひとつであるわけである。


機械で胴体を引き裂いている作品と後ろの方は人間の骸骨のアートであるので、日常ではそうとうに不快なものばかりであるはずのものが、見慣れてくるとなんでもなくなってしまうのが人間の感性の不思議である。


それで会場をさらにぐるぐる廻ってたら、トイレのとなりで売ってた連獅子の黒塗り彫金子屏風に目を奪われたのである。

思わず店主らしきおじさんに「これいくら?」と聞いたら「2000円」というので、「にっにっにっにしぇえんんんん?」と仰天して、もちろん太っ腹に大枚1000円札二枚の現金キャッシュをポンと手渡して即お買い上げになったのである。


道場の入口上がり框にこの小屏風を飾ってみると実にこれがみごとにマッチするのである。

なにしろマッチであるが自分で言っておいてマッチだけに顔から火が出る思いである。

ただいま低劣極悪極まりないダジャレをかましましたことを平身低頭して心よりおためごかしで陳謝いたします。


黒漆とみられる装丁に、みごとな連獅子の彫金を配した逸品である。

あたしのような骨董の達人ともなると、トイレのとなりで売ってても、その価値を見逃さないのである。

左に親獅子と右の子獅子の掘り具合をみれば、この作家がただならぬものであるのが、おなじアーティストとして心をえぐられるぐらいわかるのであえる。

だれがアーティストだ。


これだけの作であるから、もしかするとプレミアがついて数十万円いや数百万円てなことだってありえるのである。

そうなれば大儲けであるので、その暁にはさっそくイオンモール多摩平の森のフードコートでとんかつ定食を二人前食うのである。


それで、作者の銘をみたら、鎧袖作とあるではないか。

こっこれは高名な甲冑師上原鎧袖先生のお作であるではありませんか。

とんでもないものをたった2000円で買ってしまったのである。

神の采配とはこうしたものであるので、冨はしかるべくところに配置され、しかるべくところから奪われるのである。

神棚に拝して神にお礼を申しあげて、これはすぐ某ヤフーオークションで価値を確かめようということで、検索したら、有名な大家だけに出品者がいて値段が出てきたのである。

甲冑師 上原鎧袖作 黒塗彫金小屏風一対1980円。

20円損した。

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2019年9月28日土曜日

宮ケ瀬湖の水の郷大つり橋を渡る



心霊マニアの間では、宮ケ瀬湖といえばひもなしばんじーの名所の「虹の大橋」であるが、この「水の郷大つり橋」も、ひもなしばんじーのしやすさという点では負けず劣らずのあれこれである。

しかし、虹の大橋は県道そのまんまが橋になっており、通りがかりでお気軽お手軽にひもなしばんじーする人がよーけおったのかどーなのか、高いフェンスを取り付けてあるが、この水の郷大つり橋はばんじーポイントまで行くのに、体力も気力もいるので、まったくひもなしばんじーはなかったらしくフェンスも何も無しで、ながめは実に絶景である。

まあ、水の郷大つり橋には公園側でなく住宅地側から行けば簡単であるが、その入口もわかりにくいので、わざわざ探してばんじーする人もいなかったわけである。

動画の冒頭から当日の天気の都合で非常に暗鬱とした色調の画面で、わくわくするような怪しい何かしらに出会えることを楽しみにしていたのであるが、当たり前であるが以上の理由でなんにも映っていないのである。

映ってるのは絶景をなんとかものにして、雑誌等の写真コンテストで賞をもらいたいカメラじじい、いや失礼、ご高齢のカメラマニアばかりである。


宮ケ瀬湖の水の郷大つり橋を渡るには、まず、土産物店や飲食店の集まった水の郷商店街の前の駐車場に車を停めて、てくてくと商店街を抜けて歩いて行くのである。

平日であるので、観光客はぜんぜんいないのであるが、おそらく土日祭日は大賑わいなのかもしれんのである。

まあ、とにかく商店街を抜けたら大きな階段があるので、それを降りるとけやき広場てなだだっ広い公園である。


けやき広場から階段を見上げるとこんなであるが、帰りはこの階段をえっちらおっちら登らなければならないので、体力脚力に自信のない諸氏には、それなりの覚悟は必要である。


水の郷大つり橋はこのだだっ広い芝生の広場のはるかかなたで、ここからは影も形も見えないぐらいの広さである。

ううむ、めんどくさいからやめようかとくじける心に鞭打って、男心は秋の空である。


それで広場の周囲がアスファルトになっているので、それをてくてくてくてくてくてくくてくてくてく、やんなるぐらい歩いて歩いて歩いて歩いて、さらに歩くのである。


てなことで、周囲をぐるりと回って階段がはるか遠くに見える反対側に来るとつり橋への分かれ道になるのである。



分かれ道からはけっこうな坂道を、また、てくてくてくてくてくてくてくてく登るのである。


坂道を登ったところで橋の入口が見えるのであるが、橋の橋梁の高さが意外ねというぐらいの高さなので、なかなか壮観である。


橋を渡る様子は動画でご覧いただきたいが、とにもかくにもここまで来るのに脚力体力自慢のあたしでも「ううう、めんどくさ」というぐらいであるから、ひもなしばんじーしようなんことでてんぱってる人は、ここまでのめんどくささで「今日は中止」てなことになるだろうねと思うぐらいのめんどくささである。


そんなめんどくささを乗り越えて橋の中央付近まで来ると、カヌー教室などが開催される親水池からの流水が見えたり、宮ケ瀬湖や周囲の山々の風景の絶景がご鑑賞できて、なかなかのお楽しみである。


その放水口のわきには遊覧船の乗り場があって、ひもなしばんじーするよりもこれに乗って楽しんだ方がいいと思うのはあたしだけではないかもしれないのである。

これ、大丈夫なの?

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2019年9月11日水曜日

大山ケーブルカー



大山阿夫利神社から下る大山ケーブルカーである。

ケーブルカーはなんといっても下りの醍醐味をじっくりと味わうのが、あたしらケーブルカーマニアの鉄則である。

だれがケーブルカーマニアだ。


ケーブルカーてなものはケーブルで引っ張られて上がったり下がったりするわけである。

当たり前であるが、ケーブルカーは万全の対策で落ちることはないとわかっていても、高所恐怖症のご同輩にはケーブルが切れると転落するかもしれないという恐怖が心理的に常につきまとうわけであるので、下りの真っ逆さまに落ちそうな具合いが実にホラーまがいの恐怖ホルモンノルアドレナリン放出で心胆を寒からしめてしょんべんもれそーなぐらいのお楽しみである。

ただいま極めてお下品な表現がありましたことを、弊社一同、心よりお詫び申し上げます。


大山ケーブル駅の横にある根之元神社である。

ケーブルカーにご乗車のみぎりは必ずこの神社にお参りして無事故を願うのがケーブルカー乗りの基本である。

そんなに怖いんならやめりゃいいのにというしごくごもっともなご意見もあるのは重々承知の上であるが、そこはそれ絶叫マシン的なお楽しみも味わえるという一挙両得一石二鳥のお得感である。

不正解。

なにが?

しらんがな。


悪縁・邪念を断ち切る、開運・病魔退散のご神徳あらたか、である。

まあ、悪縁も邪念も不運も病魔もありがたい人生のお楽しみであるので、成り行き任せと言いたいところであるが、高いところはやっぱり怖いから拝んじゃうもんね。

なむなむ、ああちがったもとい、はらいたまいきよめたまえまもりたまいさきわえたまえ、なむなむ、こらこら。


もちろんいつものごとく大枚100円を払って、いやもとい寄進して五分間のケーブルカーの旅の安全を心より祈念したのはいうまでもないことである。

5分で100円は高いかどーか非常に悩むところであるが、そこはそれ神頼みというくらいであるからたはは。

オチが見つからんからといって、途中でやめるなよ。


この先、世界はいったいどの方向に向かうのか、神も仏もあったもんではないのか、果たして象師匠のステージはどこまで上がるのか。

ステージって古くねーか。

お前はだまってろっ、しゃべり過ぎなんだよ!

当番組で一部の出演者が声を荒らげたことをお詫び申し上げます。

無理に笑わせようとしなくていいんじゃないの。


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