まあ、高幡不動尊の境内では毎月第三日曜にござれ市てないわゆる骨董市あるいはごみの市が開かれるのであるが、この日は今年最後のござれ市である。
もちろん、あたしにとってはごみの市であるが、そこはそれ趣味マニアの人にとっては宝の山であるので、失礼きわまりない言い方であるのはいうまでもないことである。
この日も100店舗近く出店しているのであるが、ぐるぐると3回廻っても、宝物に出会うことはなくて、ゴミの山を徘徊するばかりである。
興味がほとんどないので、いったいなんなのかもわからんものばかりであるが、もしかすると某鑑定団に出せば数百万円のものも隠れていいるかもしれないのである。
このどうみてもガラクタにみえる石の類いだって、ヒスイやメノウかもしれないし、中にはエメラルドとかルビーやサファイヤてなものが混じっているかもしれないのである。
てなことを妄想しながら歩いてたら、裏の方にものすごくわけのわからない展示物を見つけたのである。
いままでみたことがない店で、今回が初めてである。
展示物の意図がよくわからん店で、実に不思議なものばかり売ってるのであるが、別にお化け屋敷ではないのである。
寄ってみると子供とトリの合体したトリ子供とか、わけのわからん石であるとか、金網のかごに入った動物の頭蓋骨てな、いわゆるアートらしいのである。
トリ子供であるから、トリエンナーレの津田さん関係かというと、別に表現の自由をあれこれしてるようすもないし、もちろん寺の境内であるからおコツがいろいろあっても別に問題はないわけである。
トリ子供のアートは少し気に入ったが、これを道場に飾ると弟子が減るだろうし、人形関係は憑いた霊をあれこれするのがめんどくさいので、お買い上げは控えたのである。
まあ、ひたすら気味の悪いものをアートとして表現しているのかもしれないが、いったいこれを家の装飾品としてお買い上げになるもの好き、いや失礼、マニアがいるのかどうなのか、どなたの作品がしらんが大きなお世話で心配してしまうのである。
このござれ市にはときどき画家さんなどが自ら作品を販売してるので、まあ、いわゆる骨董ではなく、なんでもござれのござれ市ということで、そのうちのひとつであるわけである。
機械で胴体を引き裂いている作品と後ろの方は人間の骸骨のアートであるので、日常ではそうとうに不快なものばかりであるはずのものが、見慣れてくるとなんでもなくなってしまうのが人間の感性の不思議である。
それで会場をさらにぐるぐる廻ってたら、トイレのとなりで売ってた連獅子の黒塗り彫金子屏風に目を奪われたのである。
思わず店主らしきおじさんに「これいくら?」と聞いたら「2000円」というので、「にっにっにっにしぇえんんんん?」と仰天して、もちろん太っ腹に大枚1000円札二枚の現金キャッシュをポンと手渡して即お買い上げになったのである。
道場の入口上がり框にこの小屏風を飾ってみると実にこれがみごとにマッチするのである。
なにしろマッチであるが自分で言っておいてマッチだけに顔から火が出る思いである。
ただいま低劣極悪極まりないダジャレをかましましたことを平身低頭して心よりおためごかしで陳謝いたします。
あたしのような骨董の達人ともなると、トイレのとなりで売ってても、その価値を見逃さないのである。
左に親獅子と右の子獅子の掘り具合をみれば、この作家がただならぬものであるのが、おなじアーティストとして心をえぐられるぐらいわかるのであえる。
だれがアーティストだ。
これだけの作であるから、もしかするとプレミアがついて数十万円いや数百万円てなことだってありえるのである。
そうなれば大儲けであるので、その暁にはさっそくイオンモール多摩平の森のフードコートでとんかつ定食を二人前食うのである。
それで、作者の銘をみたら、鎧袖作とあるではないか。
こっこれは高名な甲冑師上原鎧袖先生のお作であるではありませんか。
とんでもないものをたった2000円で買ってしまったのである。
神の采配とはこうしたものであるので、冨はしかるべくところに配置され、しかるべくところから奪われるのである。
神棚に拝して神にお礼を申しあげて、これはすぐ某ヤフーオークションで価値を確かめようということで、検索したら、有名な大家だけに出品者がいて値段が出てきたのである。
甲冑師 上原鎧袖作 黒塗彫金小屏風一対1980円。
20円損した。
写真でポン