気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2015年6月5日金曜日
蔵を建てる
「今時、蔵なんか建てるバカがどこにいるんだ」という声は重々ご承知の上であるが、それでも、やらなければならないことが男にはあるのである。
それでは女にはないのかとゆーと、そこはそれ、むにゃむにゃと話を濁して先に進むのである。
さらには、こんなものを誰が読みたいんだという声も重々ご承知の上のネタである。
まあ、「蔵が建つ」という言い方がある通り、古今東西を問わず、金持ち成功者の象徴といえば蔵である。
あたしも超零細企業新興財閥とはいえ、世間様にお大臣お金持ちとして認知されるためには、ここはひとつ蔵を建てなければならないのである。
それで、まあ、とにもかくにも、上棟式である。
何事も神事を尊ぶ象師匠であるので、まあ、言って見れば物置である蔵といえども、幣串を立てて、四方祓いに塩と米を撒いてお神酒を注いで、神職であるあたしがなむなむと祝詞を奏上して工事の無事安全を祈願し、地鎮祭も滞り無く終えて、いよいよ工事開始である。
足場をさらに細かく組んで、羽目板を貼って、改めて見ると、意外や意外の大ごとである。
始めてしまって、もう、後悔しているのであるが、今更、止めるわけにはいかないのである。
下塗りが始まると、さらに大ごとである。
まあ、どーせ物置だからたいしたことはなかろうつーことで、出来上がり勘定というどんぶり勘定の見本みたいな口約束で始めたのであるが、これはいったいいくら掛かるんだという心配が頭の中をグールグルであるのである。
そんなあたしの心配をよそに左官屋さんが下塗りを終えて、どんどん工事は進行するのである。
それで、漆喰を塗り終えて、蔵はみごとに落成したのである。
これが、庭の植木とコラボして、中々の景観である。
少し離れて見ても、中々の雰囲気である。
先日、我が家先祖代々の恒例で参拝した、おなじみの御岳山の御岳神社お犬様の御札を綺麗に貼ったのである。
これで、火防、魔除け、盗難除けは万全であるのである。
脇から見ると、さらにお金持ちの雰囲気がひしひしと伝わるのであるが、別に誰も見に来るわけではないので、なんの意味があるんだと言われれば、ぐうの音もぴーの音もでないのである。
まったくの自己満足であるのである。
馬鹿が金を持つとろくなことに使わないという典型であるのである。
しかし、びんぼーにん御用達のぱちんこやけーりんけーばに使わないところが、やっぱりあたしらお金持ち細胞所有者の真骨頂であるわけである。
後ろは窓に格子が入って、実に本格的な蔵が出来上がって、あたしも大満足の今日このごろであるが、蔵の中に入れる物は、もちろんどーでもいいものである。
蔵というのは基本的に物置であるのである。
まあ、なにはともあれ、物置さえもこの出来栄えという、象形流気功法宗家象師匠としては、象気功メソッドの威力かくありなんと言わんばかりの面目躍如であるのであるが、こんなもの建てるよりも、なんか美味いもん食ったほうがいいじゃんなんてことを言うと泣いちゃうのである。
写真でポン