気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2015年6月8日月曜日
蔵の中
「蔵を建てる」に続いて「蔵の中」である。
そんなタイトルの横溝センセー原作の映画もあったように思うが、この蔵にはもちろんそんな妖艶耽美な物語はあるわけもなくて、なにしろ蔵本来のお役目の物置であるので、我が家伝来のどーでもいいガラクタを詰め込むことに終始しているのである。
まあ、ガラクタの定番のいつのものかわからんぐらい古い布団が積んであるのが見えるわけであるが、こんなもの捨てりゃいいのにという、いわばゴミを今後も我が家の文化遺産として所蔵することになるわけである。
入って左側に幅三尺のはしご状の階段がついていて、中は二階建ての、今風にいうとロフトになっていて、けっこう広いのであるが、写真ではなかなかその雰囲気が伝わらないのである。
とにかくゴミであるので、古いものでも価値があるてなもんでもないので、全部捨ててしまって、必要んなものだけ買えばいくらでもないものを、そこはそれ、お金持ちとしての余裕を見せなければならないので、今時ナンセンスで必要のない蔵を建てて見栄を張り倒すわけである。
頭領渾身のみごとな細工であるので、集成材だの合板だのてな材料は一切使用せずに、床も柱も梁も羽目板も杉の総原木使用になっているのである。
ロフトには、またロフトがついていて、かなり物がしまえるようになっているので、どんどんゴミを溜めることができるわけである。
二階のロフトに上がるとこんな風であるが、ゴミもここまで来るとなかなか雰囲気が出てきて、さらに溜め込むことに楽しみを覚えて、しまいにはゴミ屋敷になるんではなかろうかとさすがに心配になるのである。
二階から見下ろすとこんな感じであるが、入り口に履き捨ててあるのは、最近あたしのご愛用のクロックスのクラシックである。
ペタペタと歩きにくいビーサンからクロックスに替えたら、これが驚くほど歩きやすいので、某あまぞんであれこれクロックスをご注文遊ばしたのである。
それで、ビーサンのコレクションは、さすがに我が家のゴミ遺産としてこの蔵に所蔵して子孫に伝えると不評を買うので、燃えるゴミとして袋に分別してゴミ収集車の客となったのである。
あたしの夏の定番ファッションであるアロハにクロックスとゆーのは、湘南ボーイいや湘南おじさんいや湘南じじいとしていかがなものかと思うが、まあ、時代に合わせてファッションも揺れ動くのは致し方のないことであるのである。
ううむ、蔵からクロックスまであたしの趣味をこれでもかとご紹介してるわけであるが、ほんまにくだらんと言えばくだらんのである。
あたしの人生自体がくだらんと言われれば、ごもっともであるとしか言いようもないのであるが、どんなにすばらしい人生を送ってもどーせしまいにはおっちんじまうのであるから、思いっきりくだらん自堕落な生活を心がけているのである。
そのくだらなさが極まって蔵を建ててみたわけであるが、物置なら100人のってもだいじょーぶのイナバでいいのに、なんてことを言われるとそこはかとなく涙が溢れてくるのである。
もちろん嘘泣きである。
写真でポン