2011年4月22日金曜日

至福の時


どんな時にも幸せを感じる人とそうでない人がいるのである。

幸せのセンサーの感度がよろしいとどんなささいなことでも至福のときを味わうことができるのである。


何を食べても美味しいというのも幸せのセンサーの感度がよろしいのである。

高級なホテルの料理だけしか美味しくないなんていうのは感度が鈍ってしまっているということであるのである。


この、お母さんと子供たちがMacを食べている風景は幸せセンサーの針が最大限に振れている時であるのである。

お母さんも子供たちも天国極楽に誘(いざな)われているのである。

至福の一時(ひととき)をカメラが勝手に写し出した瞬間であるのである。


Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ

人物・街・カメラ
写真サイト
にほんブログ村 写真ブログ 写真家へ

2011年4月21日木曜日

高尾山|清滝駅前


高尾山の最終回であるのである。

まあ、高尾山とは行っても、実際には登山道1号路を200メートルぐらいと、6号路を琵琶滝に向かって500メートルぐらい歩いただけであるので、高尾山ではなく高尾山麓写真集であるのである。


まあ、これ、お昼を挟んで食事前に1時間と食事後に1時間ぐらいの間に撮ったのである。

総枚数はたしか856枚であったと思うのであるが、けっこう短時間に撮れるもんである。


まあ、いかなGRDⅢとはいってもやっぱりコンデジであるので、写りは限界があって、ううむ、と思わないもんでもないのであるが、実際にブログにアップロードしてみると、JPEGで縮小に継ぐ縮小であるので、こまかいことは気にしないワカチコワカチコであるのである。

ううむ、これ誰のギャグだっけ。

時間はどんどん流れてどんどん過去になって記憶は薄れてしまうのである。

芸人は大変であるのである。


まあ、それはともかく縮小してブログにアップロードされた画像を、さらに、ノートPCの15.6インチのモニターで見ると、EXILIMもGRDⅢもあったもんじゃないのである。


まあ、今のところあたしは写真展をやろうてな気もないのであるから、GRレンズのクオリティがあれば十分すぎる絵が撮れるわけである。


いずれにしてもあたしの場合てきとーな場所でてきとーに撮るわけであるから、いくら写りが良くても、ばかでかい一眼レフを構えて巨大なレンズを人に向けるわけにもいかないので、コンデジサイズのカメラが自由に写真を撮れて好都合なわけである。

まあ、今回が山であるから、次回は海かねやっぱり。


Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ

人物・街・カメラ
写真サイト
にほんブログ村 写真ブログ 写真家へ

2011年4月20日水曜日

高尾山|6号路登山道








まあ、健康ということを考えると、ざっくりと言えば、ううむ、ざっくりねざっくり、死にそうにつらいがざっくりね、とにかく健康には食事と睡眠と運動であるわけである。

食事は適度に睡眠も適度に運動も適度にすれば身体は一番いい状態になるのである。

この適度が重要であるのである。

これが適度でなく、食いすぎれば糖尿病だの脂肪肝だの果ては狭心症だの脳梗塞だのなんてことになるし、睡眠が足りなければ身体のメンテナンスが行き届かなくてやっぱりお病気の素を生産してしまうのである。

運動に関しても健康体の代表の一流スポーツ選手が長生きかというとそーでもないことはご存知のとおりであるので、まあ、健康ということを考えた場合にはらくーな程度の運動を継続するてなことの方がよろしいわけである。

まあ、てきとーにらくーにということであるのである。

人間、いいかげんがちょーどよろしいわけである。

Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ

人物・街・カメラ
写真サイト
にほんブログ村 写真ブログ 写真家へ

高尾山|清滝駅周辺の記憶


ううむ、祟られたので再アップであるのである。

まあ、油断してるといろいろ霊の障りがあるわけである。


祟り祟られあらいやんというわけで、まあ、どーでもいいのであるが、めんどくさいねどうも。

まあ、高尾山は神の山であり霊場でもあるわけであるので、不遜なことをいうとお祟りになるわけであるので、弥栄(いやさか)を言祝(ことほ)ぎあなたもあたしも大除霊というわけであるのである。


すごいねどうも、だんだんなんのブログかわからなくなってるのである。

まあ、大霊能者象師匠の写真であるから、そら、ろくなこたあないわけである。


ううむ、こんなことを言うから祟られるのである。

黄泉の国のお歴々を言祝ぎこそすれ、あだや疎(おろそ)かに言い立ててはよろしくないのはいうまでもないことであるのであるが、これがねえ、どうも、史上最低の霊格者のあたしとしては神の社に降神を願った八百万(やおろず)の神さん諸々(もろもろ)に高天原になんてね。

なんだよ、意味がわかんねーぞ。


気を確かに立てなおしてあそこもここも立てなおして、いざ、おねーちゃんと大格闘ならんと、ううむ、下ネタかよ。

三村かよ。

ううむ、つらいね、だめだね、もっと、こう、なんというか、大爆笑とはいかなくても少爆笑ぐらいなんとかね、ほしいね。


人間の運命なんてえものは斯くの如くあやふやであるので、そんなにしゃかりきになっても意味がないっちゃないわけであるので、てきとーにやるのがよろしいわけである。


くそー、祟られたのでまとまらんが、まあ、こんなところでひとつお願いしますよ。

どれどれこんどはどうかな。

Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ

人物・街・カメラ
写真サイト
にほんブログ村 写真ブログ 写真家へ

2011年4月18日月曜日

高尾山|清滝駅周辺の記憶


ううむ、まあ、やっぱりあたしもときどき、あたしの人生はなんの為だろうなんて思う時もあるのである。

こんなてきとーで自堕落な人生を送るためにこの世に現されたわけではないと思うのであるが、おもいっきり自堕落にてきとーに生きてるわけである。


なんでこんな自堕落でてきとーな生き方しかできないんだろうなんて反省してみることもないではないのであるが、「ああ、そうか、自堕落でてきとーに生きるように神さんがあたしをお造り遊ばしたんだからしょーがないじゃん」てな逆反省をして、さらに自堕落にてきとーになるのである。


まあ、なにごとも神さん仏さん他のあたしになんの相談もない一方的な思し召しであるので、あたしがどうのこうのしようと思ってもどーなるってことでもないので、まあ、てきとーでいいわけであるが、しかし、こんな生き方でよくStreetPeopleにならんもんだと自分でもときどき自分の運命に摩訶不思議あら不思議を感じてしまうのである。


逆に必死で生きてきてもにっちもさっちも行かなくなってる人があたしの周囲にもたーくさんおられるのであるから、これ、まあ、なんとゆーか、DNAの設計図かねやっぱり。


しかし、まあ、必死で人生をやってきてぜんぜんうまく行かない人は、これ、必死でやってもだめなんだから、あたしのようにてきとーに生きるということを決心すれば人生は開けるかもしれないのである。


象気功でまあ、今までもさんざん、まいどまいど同じことを言ってますが、力を入れると力は出ませんが力を抜くと力が出るということであるのである。


力を抜くと見えてくるものがたくさんあるのであるが、これ即ち大円知鏡であるのである。

あるがままてなことであるのであるが、そこがまた、なかなかね、力を抜かないとね。

ううむ、なんでもいいが、写真がうまいねあいかわらず。

Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ

人物・街・カメラ
写真サイト
にほんブログ村 写真ブログ 写真家へ