気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2015年10月4日日曜日
世界遺産富岡製糸場
富岡製糸場の正面入り口である。
富岡製糸場専用の駐車場はないので、象師匠におかれましては近所の私営駐車場に愛車を停めになられて、そこからてくてく歩いてこの正門入口にご到着遊ばしたのである。
ペットのご見学はお断りであるのであるので、愛犬家や愛猫家はあらかじめご了承の上ご見学の運びとなられることをご注意して、ううう、なんだその、どーでもいいのである。
なにしろ世界遺産であるので、この日は平日でもあるにも関わらず、富岡製糸場は大賑わいであるのである。
正門前の参道商店街は、観光客相手の土産物屋の売り込みがやいのやいのと喧しくて、世界遺産の品性台無しであるが、まあ、地方の町おこしということではこれ以上ないネタであるので、どこの自治体も世界遺産登録にやっきとなるのはさもありなんという光景である。
まあ、平日でもこの大賑わいであるから、これが日曜休日の大混雑は想像を絶するものがあると思われるが、もちろんあたしはそんな空恐ろしい目に会うのはゴメンであるので、あたし的物見遊山は平日限定が基本であるのである。
正面入口を入るとすぐこの券売所と言う名のチケット売り場があるので、大霊能者の誉れ高いあたしも一般庶民に混じってお並びになって見学券を買ったのである。
ご見学料は大人1000円である。
もちろんあたしはどうみても立派な大人であるので、1000円払ったら、パンフレットと見学券をいただけたのである。
それで、正面入口を入るとすぐ東置繭所があるのである。
東置繭所の場内は展示場になっていて、富岡製糸場の歴史やフランス式繰糸器の復元機などが展示してあるのである。
東置繭所を抜けると、西置繭所があるのであるが、西置繭所の前の立て札には西繭倉庫と書いてあるのである。
だから、東置繭所は東繭倉庫であるということである。
その倉庫の中がどーなっているのかは、東繭倉庫は展示場となっているし、西繭倉庫の内部は工事中で見ることができないので、まったく不明であるのであるが、両倉庫は国宝である。
それで、まあ、順路を歩い行くと、テレビ番組などで紹介される繰糸所があるのであるが、これも国宝である。
富岡製糸場のイメージといえば、この繰糸所の内部であるわけであるが、内部はほとんどビニールで覆われているので、テレビ番組で紹介されるような繰糸器が延々並んでいる光景はご覧になれないのである。
まあ、富岡製糸場はいわば国策によって作られたものであるので、片倉先生がご診察あそばす片倉診療所があるのである。
つまり、野麦峠のような悲惨な女工さんの生活ということではなく、日本における繰糸器の指導者を育てることが目的であるので、それなりに健康も管理されていたわけである。
これはフランス人指導者のポール・ブリュナさんご家族の宿舎であるが、その作りや大きさから当時の明治維新直後まもない政府のこの殖産事業にかける意気込みがうかがえるのであるが、まあ、当たり前といえば当たり前である。
ブリュナさんの住居の裏側であるが、裏側から見てもご立派であるのである。
だからなんだと言われても、まあ、その、べつになんでもないのである。
当時の工女さんたちの寄宿舎の浅間寮と妙技寮である。
まあ、官舎というのか寮というのか、各地から集った工女のみなさんは、とにかくここで生活して、製糸技術を習得して、地元に帰って指導者となったわけである。
それで、見学したら腹減ったので、参道商店街のおぎのやさんで峠の釜めし膳1200円を食ったのである。
これが入り口であるが、祝世界文化遺産登録の看板はいらんだろと思うのはあたしだけかね。
商店街全体がこのちょーしであるので、商店街の方向性としては明治の面影を街づくりのテーマとすることが、観光地としてさらなる発展を呼びこむ基となるということをご進言申し上げてあたしのご挨拶といたしたいところであるが、もちろんいつものことで大きなお世話であるのである。
おぎのやさんの出口である。
入り口よりもこちらの方がなかなか宜しい雰囲気であるので、観光客の皆さんはこちらからどんどん入ろうとするので、ガラス戸に出口と大書してあるのである。
あたしもこの出口から入ろうとして、入り口でお休みになっていた富岡製糸場の案内人のおじさんに「入口はあっちだよ」とご注意されたのである。
入り口みたいな出口でも大変美味しゅうございましたのである。
写真でポン