気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2014年2月7日金曜日
タイ王国霊能紀行その3の⑦デュシタニホテルホアヒンのプライベートビーチ
デュシタニホテルホアヒンのプライベートビーチであるのである。
このロケが朝っぱらであったので、だーれもいないし、ビーチに向かって逆光であるので、暗いし、神の光が入って見難いのであるが、まあ、そこはそれ、そーゆーことであるとゆーことであるのである。
まあ、いいや。
とにかく、ビーチサイドには椅子もパラソルもあって、映画のセットのようであるが、プライベートビーチであるので、もちろん日本の海水浴場のように海の家のおじさんに使用料を徴収されたりはしないのである。
それで、まあ、あたしは湘南育ちの湘南ボーイの我は海の子であるので、毎日、このビーチで泳いだのである。
だれが湘南ボーイだ。
てなことで、この砂浜がおそらくハワイのように砂を運んできてビーチを造成したせいであると思うのであるが、これが、とんでもない遠浅で、時間によっては行けども行けども膝ぐらいまでしかないのである。
さらにビーチの端の方の海の中は、砂が波に寄せられたせいなのかどーなのか、砂利でジャリジャリして足が痛いのである。
まあ、そんなこともこんなことも含めて楽しく泳いで、ほぼ羊水と同じ成分の海水に浸かって、体は自然回帰細胞リセットも十分にあたしのナニはアレしてコレしてぽんぽこぴーであるのである。
ううう、カフェインが切れて、文章がでたらめになってしまったので、こーしーを飲むのである。
えーと、なんだっけ、ああ、そうだ、ビーチだ。
それで、ホテルの泊り客はほとんどがプールには入っても海には入らないのである。
さらに余談であるが、プールとはいっても泳いでいる人は稀で、ほとんどはプールサイドで寝ているだけであるのである。
まあ、ホテルプールでは飛び込んだりバシャバシャ泳ぐのは下品な行為であるつー声もないではないが、あたしゃ飛び込みはしないが、もちろんバーシャバシャ泳いだのである。
それはともかく、そんなこんなで、誰もいない海であるが、それでも何度かタイ人のおにーさんやおねーさんがあたしと一緒に海に入ったのである。
そしたら、おにーさんもおねーさんも水着の上にTシャツなどの衣服を着たままであるのである。
海パンいっちょーの裸ん坊はあたしだけであるのである。
これ、日焼けの問題かと思ったのであるが、そのおにーさんおねーさんもプールでは水着だけになるのである。
不思議に思って、知人に聞いたところ、タイの皆さんは海は衣服を来て入る習慣であるそうであるのである。
もすりむの皆さんの場合はこーらんの教えに従って、特に女性は素肌を人前に晒すのはとんでもない行為であるだろうから、わからんでもないが、タイはあたしと同じ仏教徒がほとんどであるので、おしゃかさんの教えは実に寛容であるので、しゅーきょー的にはすっぽんぽんでもなんでもいいはずであるのである。
まあ、すっぽんぽんだと、おしゃかさんはともかくタイでもけーさつに怒られるだろうから、それはなんとも言いがたいが、まあ、プールでは水着だけであるので、やっぱり、タイの「習慣」であるのかもしれないのである。
写真でポン