気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2014年2月5日水曜日
タイ王国霊能紀行その3の⑥タイのホアヒンのデュシタニホテルの夜
外国のホテルの夜は暗いのである。
レストランも暗いのである。
これはムードを出すためだと思うのであるが、日本のホテルやレストランは煌々と照明が点いて明るいので、いつもながら「ああ、外国に来たなあ」といわゆるお上りさん気分を味わえる瞬間でもあるのである。
まあ、その中をうろうろしてみるわけであるが、キンキラとLED照明のきらめくプールサイドに降りたら、どこからか妙なる調べが聞こえてくるのである。
動画をご覧のとおり、一見クリスマスのようである。
タイではクリスマスの飾り付けを1月でも継続してるのであるが、これはどうもそうではなく、このような演出であるのかもしれないのであるが、ホテルのスタッフに確かめたわけではないので、それがどーなのかはわからんのであるのはいつものとおりであるのである。
まあ、それはともかく、聞こえてくる妙なる調べはどうもガムランであるので、その聞こえてくる方向にどんどん歩いて行くとガムランはどんどん大きくなってきて、「ううむ、これはなかなか、心地よいではないか、このガムランの演奏者にひとつ声をかけて応援しなければなるまい」つーことで、ガムランはどこだどこだとさらにどんどん歩いて行くと、プールサイドの奥にあるレストランの前に舞台がしつらえてあって、その前の闇の中で数人のおにーさんおじさん達が手以外は身動きもせずに整然と演奏しておられるのである。
もしかしたらばおじさんの他におねーさんおばさんもいたのかもしれないのであるが、なにしろ夜であるしほとんど闇の中であるし、当たり前であるが一糸乱れず真剣に演奏しているし、この雰囲気ではそばに寄ってまじまじと観察するわけにもいかないので、定かで無いのはゆーまでもないことであるのであるのはご理解いただきたいわけである。
レストランにはだーれもいないので、誰のために演奏してるのかわからんのであるが、まあ、これもホテル全体の演出としての演奏かもしれないのである。
まあ、これ、夜のしじまに溶け込んであたしだけの演奏にも聞こえるので、実に贅沢な光景といえばいえるわけであるが、そこはそれ、運気だけで生きてる象源流気功法宗家の象師匠であるので、当然といえば当然の成り行きであると勝手に忖度(そんたく)して、じゅーぶんにガムランに浸って、βエンドルフィンもドーパミンも放出して気持ちよくなってホテル代は元を取ったのであるが、そんなセコいことを考えるよーではまだまだ修行が足りないのはゆーまでもないことであるのである。
なんの修行だ。
写真でポン