気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2013年5月4日土曜日
伊勢神宮(内宮)門前町のおはらい町とおかげ横丁
おはらい町は三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮皇大神宮(内宮)の入り口の鳥居前にある門前町である。
おはらい町は伊勢参宮街道の終点宇治橋手前の、伊勢市宇治今在家町から宇治中之切町を経て宇治浦田一丁目に至る約800mの伊勢おはらい町通り(いせおはらいまちどおり)の両側に広がる町であるのであるが、まあ、なんともかんとも、動画をごらんになるとお分かりになる通り、延々広がる、まれにみる町おこし大成功の典型を見ることができるつーぐらいの壮観な町並みであるのである。
伊勢参宮街道に沿って、宇治・山田で昭和中期以前は一般的であった、入母屋・切妻・妻入り様式の得も言われる昔なつかしの木造建築が立ち並び、伊勢市の代表的な観光地であるのである。
また、おはらい町とおかげ横丁は混同されるケースもあるが、おはらい町の中央付近におかげ横丁があるのである。
これがまた、これでもかと作り込んだ町並みで、観光客はご満悦でご飲食遊ばしたりしてるのである。
宇治今在家町から赤福本店前(中橋西詰)までの区間は三重県道に(三重県道715号館町通線)、赤福本店前から宇治浦田一丁目までは伊勢市道に(伊勢市道宇治新橋線)指定されているのであるが、まあ、そんなことはともかく、その赤福で赤福を買って赤福を食ったのはいうまでもないことであるのである。
沿道には伊勢うどんや手こね寿司などの郷土料理を供する飲食店、真珠や伊勢茶などを販売する土産物店が軒を連ねているのであるが、もちろん霊能グルメレポーターとしても高名な象師匠としての仕事柄、即座に伊勢うどんと手こね寿司を食ったのはいうまでもないことでるのである。
中には民家や郵便局・銀行もあるが、ほぼすべての建物が切妻・入母屋・妻入の木造建築で統一されているので、ううむ、よーくできてるなーとゆーご感想をお持ちになるのはあたしだけではないと思うが、もしかすると町おこし研究家のあたしだけかもしれないのである。
これらの建物の多くは1970年代以降に民間主導で進められたまちづくりの結果、景観維持を目的に整備されたものであるつーことであるが、この伊勢神宮の門前町として栄えたおはらい町は、江戸時代にはお伊勢参りつーことで参宮客が年間200 - 400万人も押し寄せた庶民の憧れの地であったのであるつーことであるのである。
当時、日本全国から参宮客を集めた御師(おし)と呼ばれる人々がこの通りに館を連ね、客人をお祓いや神楽でもてなしたことから、いつしか「おはらい町」と呼ばれるようになったとゆーことであるので、この町の皆さんはその御師さんの末裔の皆さんであるかもしれないのであるが、直接お伺いしたわけではないので定かではないのである。
伊勢おはらい町会議は1980年代から活動を始めたまちづくり組織で、おはらい町を単なる観光地ではなく、実際に住民が生活する町であることをコンセプトとしているそーであるが、なにしろ、これだけ統一感を持って観光地としての街づくりを成功させたわけであるから、そらたいしたもんだと言わなければならないのは無論のことであるのである。
てなことで、まあ、おはらい町通りをすたこら歩いて動画をお撮り申し上げたわけであるが、これがね行けども行けども尽きぬ町並みで、いったい何キロあるんだと思ったのであるが、前述のとおりだいたい800mmだそーであるのである。
この日は日曜でもなく土曜でもなく祝日でもなく休日でもなかったのであるが、これが、ものすごい人並みで大賑わいであるのである。
伊勢神宮の境内よりも賑わってるのは明らかであるのは、これ、神宮の境内の各社を参拝するときはお参りをすませるとさっさと次へ行ってしまって、参拝をすませると座るところもないのでとっとと外にお出になってしまうため滞在時間が短いわけであるが、こちらは土産物屋と飲食店があって、見るもの買うもの食うものが満載で、滞在時間が比較にならないぐらい長くて、観光客で大混雑大賑わいであるわけである。
まあ、いわば地の果てみたいな立地にあるこの町をここまで大観光地にしたのは、神社本庁御本家伊勢神宮の神気神威による集客力もさることながら、最近のパワースポットブームで、本来のお年寄りのお楽しみに加えておにーちゃんおねーちゃんがごちゃまんと集合してるのがさらに大賑わいの原因であるのは否めないところであるので、メディアのでっちあげの力というものは今も昔も人心に多大なる影響を与えてこの世を動かしているのが見てとれるわけであるので、メディアは神の一柱でもあるわけであるのである。
うまいねどーも。
Camera:LUMIX DMC-FH6
写真でポン