2019年7月27日土曜日

夜10時の羽田空港国際線到着ロビー



7月13日10時ごろの羽田空港国際線ターミナル到着ロビーの様子である。

なかなか映像として表現するのが困難であるが、この時間帯に着く便が多いのか、大混雑である。

迎えの人と降りる人が交わって大混雑の上に、5~6人の中東方面の若いおにーさんが酔っ払って大騒ぎしてるし、おじさんの二人連れが出てきてすぐ中に入ろうとして警備の人に「ちょっとちょっと」と連れ戻されて「鞄まちがえちゃったので戻りたい」なんてわめいてるし、さらには、どこの国かわからんが、ブルーの制服を着た小学生の一団が旗を持ってるおばさんのもとに集まってワイワイしてるし、小さな子供は走り回って転んだりして大騒ぎである。


それがなんだと言われれば、べつになんでもないのであるが、夜中に大混雑する空港の到着ロビーをつらつら眺めながら、いやはや実に日本は充実してるなあというのが実感である。


まあ、関東大震災から速攻で立ち直り、敗戦から速攻で立ち直り、昨今の災害・震災からもあれこれ問題を残しながらも速攻で立ち直り、どー考えても世界で最も充実した平和な国のひとつであるのは想像に難くないのである。

あたしが極め付きの楽観主義者で、なんでもかんでも良い方向に感じてしまうからだろうと言われればぐうの音も出ないが、ううう、なんだこの気の抜けた文章はよー、だから日本ペンクラブに入れてもらえないんだぞ。

誰が日本ペンクラブだ。

先日の参院選の投票率の低さを嘆く識者の弁を聞いても、あたし同様に「いや、べつに現状に不満はないから、今のままでけっこう」てな信条の人が大半であるゆえんじゃなかろうかと思うのはあたしだけではないかもしれないと思う今日この頃である。

どこかの国のように、政治の状態のひどさに諦めて投票率が低いのではなくて、今の生活でおおむね満足という人が多いというのが今の日本の現状であると考えた方がよろしいんじゃなかろうか。

あたしに限っては、某ヨシモトネタで大騒ぎの今の日本の状態にまったくなんの不満もないのである。

別に自民党員でもなけりゃ安倍さんの信望者でもないが、生まれ変わっても「現在の日本」に生まれ変わりたいと思うのである。

そのぐらいお気楽な人生を、誰に感謝すればいいのかね。

神かね、守護霊かね、背後霊かね、憑依霊かね、地縛霊かね、因縁霊かね。

タタリかよ。



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2019年6月23日日曜日

高幡不動尊金剛寺のあじさい祭りの日に掛け軸を二本買う


毎月第三日曜日は高幡不動尊金剛寺のござれ市(骨董市)の日である。

骨董品収集家としての顔を持つ象師匠はときどきゴミをあさりに、いや失礼、掘り出し物を探しに駆け付けるのである。

もちろん、良いものを見ることは良い氣を養うことに通じるわけであるから、気功師としての修行の一環でもあるのはいうまでもないことである。

もうしわけありません、わたくしウソをついてしまいました。

まあ、それはともかく、この日はおりしも毎年恒例の山内八十ヶ所巡拝コースに植えられたあじさいを売りにした、いや失礼、ご鑑賞できる、「あじさい祭り」の真っ最中で、不動尊境内の無料駐車場の入口は延々の大渋滞で、いつになった入れるのか見当もつかないので、あきらめて、近くの私営駐車場にご駐車なされてのご来場である。


あたしみたいな無粋ものには、なんであじさいなんかにこんなに人が押し寄せるのはわからんが、とにかく境内はいつにも増して、人でごった返しているのである。

当寺の販促担当者の企画力はなかなかで、一年を通してあれこれお楽しみを我々凡愚の衆生に与えてくれるのである。


その労に報いるべくありがたいありがたいと本堂に詣でて、おためごかしの、いや再度失礼、心よりの祈念とともに、いつものごとく大枚100円を寄進申し上げたのはいうまでもないことである。


それで、ござれ市のゴミ、いや再再度失礼、骨董品の数々をご鑑賞してうろうろしてたら、箱入りの掛け軸が炎天下に捨て置かれていたのである。

しかし、こーゆーところから市井に埋もれた名品を見つけるのが骨董品収集家の醍醐味である。

それで店主のおじさんのご推薦の軸をあれこれ厳正に精査して、今回はなんと二本のお買い上げである。

あたしはこー見えても、いやどー見えるか知らんが、イラスト等でめしを食ってたことがあるぐらいの、いわばプロの絵描きである。

その書画が印刷か肉筆かは一目で見抜けるのである。

その程度かよ

その程度だよ。


つーことで、一本目は山村で畑を耕す農夫を描いた山水画である。


早春の風景と農夫の畑を耕す動作をみごとにコラボさせた、なんだその、えーと、まあ、なんでもいいやね。

まあ、とにかく、この構成力、描写力、筆運び、なかなかのものである。


「ううむ、これはただ者ではない」と箱書きを見ると、達筆で「山村耕人」と書いてある。

いわゆるそのまんまである。

そのまんまというよりは、単なる中身のメモである。


それではと、作者の銘を見ると「光径」とあるではないか。

光径といえば、もちろん日本画山水の巨匠「小島光径」画伯である。

こっこれはすごいものを買ってしまったのである。

もしかすると叩き売っても50万円ぐらいにはなるかもしれない。

でも、これ1000円である。

1000円かよ。

よく見ると、字がとんでもなく下手だし、わけわからんようにあいまいに書いてあるし、さらには落款もないし、ううむ、やっぱり1000円である。


気を失いそうになるぐらいの落胆を立て直して、次の一本は雪の山中を馬に乗って行く僧侶の図である。


雪の降る森の中を馬子にひかれた馬に乗って行く僧侶の寂寥としたおもむきといい、しんしんと降り積もる雪の音さえ聞こえてくるではないか。

これを名作と言わずしてなんと言うのか。

この名作は店主のおじさんが「2000円」と言い張るのを値切って、1000円でご購入したのである。

おじさんが2000円と言い張るぐらいであるから、ゴミ捨て場から拾ってきたもんではないのは当然である。

論旨がいまひとつ明確ではないが、もしかすると大当たりの可能性が大である。

宝くじかよ。


「これはどうみても、名のある絵師の作にちがいない」とわくわくどきどきで箱書きを見れば、「高原暮雪」とある。

またしても、そのまんまである。

そのまんまというよりは、これも中身のメモである。


怪しい展開にあたしの心は半分折れかかっているのであるが、心を取り直して作者の銘を見れば、「一耕」とあり、さらに落款もあるではないか。

でも、「一耕」ってだれだ?

しらんがな。

1000円だし。

掛け軸は、燃えるゴミの日に出せばいいのかな?

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2019年5月17日金曜日

熱海港・初島航路高速船イルドバカンス号の着岸から出航までを見て楽しむ



船の出航は「別れ」であるので物寂しいのはともかく、着岸のようすもなんとなく物寂しいのはあたしだけかね。

まあ、だいぶ前に高速船で熱海から初島に渡ったことがあるが、今回は高速船の着岸から出航をご見学になるのである。

見るだけで何が楽しいかと問われればぐうの音も出ないが、そこはそれ、人生の隅々まで極楽とする象師匠の心意気である。

ううう、この文章を書きながら、プロの作家としてあまりの情けなさに、なにやら涙もにじんで、景色もにじむ今日この頃である。

誰がプロの作家だ。

それ、受けてないからやめなさい。

おおきなお世話だ。


おつむの具合いのあれこれはさておいて、初島にれっつらごーしたい場合はこの窓口でチケットをお買い上げになればよろしいのである。

初島までは高速船に乗ればなんと25分で着くと言い張っておられるので、あたしの経験からも日帰りは楽勝である。

ただし、日帰りしたい場合は帰りの便の時間を確認してから、どの便にするか計画しないと、泳いで帰ることになるのである。

泳いで帰る心意気と体力に自信のない人は一泊する覚悟とお金が必要となるのである。

覚悟とお金のない人は野宿となるのはいうまでもないことである。


さて、チケットを買ったらこのゲートの前に並んで、船の到着を待つわけである。

この日は晴天であるので時刻通りに到着・出航であるが、天候によっては遅延あるいはお取り止めてなこともあるのはもちろんであるので、そこはそれ、流れに身を任せて生きることを是とする象気功のあれこれである。

聡明な信者はお気づきの通り、展開に詰まると「あれこれ」でごまかすわけであるが、それもこれも神のお告げとすれば、なるべくしてなるこの世のことわりのあれこれである。


並んでそうこうしてるうちに、たいていは船が到着するので、並んでぞろぞろとご乗船遊ばすと、あとは高速船の豪快な海路のひよりをお楽しみになったり、船に弱い人は船酔いで死にそうになったりできるのである。


チケット売り場には土産物売り場もあって、初島名物をあれこれ売ってるので、初島に行くのがめんどくさい人はここで土産物を買って親類知人に配るという暴挙もできるのである。

えーと、まあ、そんなことでひとつ。


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2019年5月10日金曜日

熱海の平和通りと仲見世通りと銀座通りを歩く



湘南ボーイの成れの果てのあたしは、鎌倉は好きであるが、実は熱海はあまり好きではなかったのである。

しかし、改装後の熱海駅を見てみたいことも含めて、熱海の再開発町おこしはいかにということでご来駕の運びとなったわけである。

熱海駅の改装工事が終わってあれこれよろしくなって以来、昨今の熱海ブームもあってか平日にもかかわらず駅前の「平和通り」は大賑わいで、通路に設けられたシートには老若男女がお座りしてあれこれお召し上がりになったりしてるのである。



平和通りの中にある「熱海福福の湯」てな手湯の施設があって、皆さんが手を温めておられるのであるが、まあ、ここで足湯というわけにもいかないので手湯であるのかもしれないのである。

あたしは別に手が冷えてないので手湯はしなかったのであるが、東洋医学では手はそれぞれの指が内臓につながっているてなことで、手を温めるのは健康上よろしいことを昔の人も気が付いていたわけである。


以前のうらぶれた熱海駅ビルが「ラスカ熱海」てなグルメや土産物のショッピングセンターになって、中は外の静寂からは想像できない大混雑である。


駅ビルの対面は昔の面影そのまんまであるが、人の賑わいがちがうといえばちがうので、あちこちのホテルが廃業したりして、一時期衰退の一途をたどっていた熱海の町おこしは大成功であるわけである。

やる気になれば町は変わるのである。

大きなお世話である。



「平和通り」に続いて、隣の「仲見世通り」も歩いてみたのであるが、こちらも空き店舗もなく店は全開で、ご繁盛のようすがよくわかるのである。

観光地の商店街てなものは、平日はシャッターガラガラの店が多いのが通例であるが、「平和通り」「仲見世通り」ともにどの店も全開であるので、商店会長におかれましてはほくほくの笑顔であろうことがあれこれするのである。

さらに大きなお世話であるが、商店街評論家の看板をかかげるあたしとしては一言ご祝辞を申しあげておくわけである。

誰が商店街評論家だ。



駅から坂を下って海岸近くにある「熱海銀座通り」も午前中に歩いてみたのであるが、なにしろ午前中であるので、駅前の平和通りや仲見世通りに比べると人もまばらである。


それで、TV番組でも取り上げられた「熱海プリン」の店があるというので、グルメ評論家としてのあたしはいちおう食ってみないことには話にならんということで「熱海プリンカフェ2nd」てな店までのロケを敢行したのである。

通りは閑散としてるが、この店の中は意外や意外で、カップルのおにーさんおねーさんが席に座って熱海プリンをお楽しみである。


もちろんあたしも負けじと「熱海プリンフルーツ牛乳味」をご購入して、外のベンチに座ってお召し上がりになったのである。

プリンをストローですするという斬新なスタイルである。

これぐらいでいいかね。

あるまじき、ひどい食レポである。


熱海銀座通りの入口には明治大正時代のおもむきの建物が道路を挟んで立っているのである。

両方とも「常盤木」という羊羹の店であるが、あたしは熱海プリンで、もう大丈夫であるので、食わなかったのである。

男はだまってイカの塩辛である。

ご推察いただきたい。


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2019年2月21日木曜日

高幡不動尊のござれ市で紅富士の掛け軸を買う



まあ、毎年の我が家先祖伝来の恒例で2月あたりに高幡不動尊の火防守りのお札を買いに、いやもとい、いただきに行くのであるが、ついでに第三日曜に開催される骨董市のござれ市もご見学になるのである。


やはり敬虔なる仏教徒であり神の使途であるややこしい生まれのあたしとしては、ううう、何を言いたいのか自分でもわからんので、どーでもいいやね。


それで、今年のござれ市に来てみると去年までとなんとなく雰囲気が変わって、まず外人観光客が多いのである。



さらには、マニアが集まる骨董品の店が少なくなって、土産物的なものが多くなっているのにあーらびっくりねである。


まあ、市の名称がなんでもござれのござれ市であるから、まあ、それはそれでよろしいわけであるが、それでも雰囲気はそれなりである。


若いおねーさんや家族連れも多く、以前の骨董マニアのうらぶれたおじいさんばかりという雰囲気ではなくなって、なんとなく華やいだおもむきである。


骨董好きのおじいさんよりも女性客が多いので、骨董市というよりはリサイクル市てな方向に向かってるのかもしれないのである。


まあ、いずれにしても、あたしにとってはゴミの集積場的なおもむきであるので、ゴミに埋もれて漂い歩くてな雰囲気に浸るばかりであるので、ござれ市の経済効果に貢献しないことおびただしいのである。


これは筆や文鎮のたぐいであると思われるのであるが、これにもまったく興味がないので、価値はまったくわからんのである。


これはとっくりか甕(かめ)のたぐいであると思われるが、いっしょにペコちゃんの絵のペールや粉ミルクのの空き缶も置いてあったりして、コンセプトがいまひとつわからんが、わかる人にはわかるかもしれないのである。


マネキンの生首を売ってるのではなく、どうもアクセサリーの類いを首にかけて展示してるもようである。


店主のおじいさんがなかなかの雰囲気で、あたしもこんなふうに露店の店先に座って人生を楽しみたいが、客の相手がめんどくさいので無理である。


これはなかなかわかりやすい品ぞろえであるが、陶器も磁器もガラスの器もぜんぜん興味がないので、なんだかわからんのである。


いつものてきやの焼きそば売りのおじさんの店も出ていて、親子連れが焼きそばやたこやきなんかを食ってるのであるが、あたしはこのあとスペイン料理を食いに行く予定であるので、スルーである。


広い店もあれば畳半畳の店もあるので、これは広さによって料金が違うと思うが、ここに店を出すにはどこへ問い合わせればいいのかと考えるだけでもめんどくさいので、骨董の露天商になるのは無理である。


まあ、以前は日に焼けてまっくろけのおっさんの店主が多々おられたのであるが、おなじみのおっさんが数人おられなくなって、女性の店主が多々増えておられるのである。


もちろんこのコンテナの中身も商品であるので、廃棄するわけではなく売ってるのである。


赤い防火用水のドラム缶も売ってるのであるが、これをこのござれ市で買うのはどんな人なのかと思うのはあたしだけではないと思うのである。


このなんかわからんものも500円均一で売ってるのである。


さらになんだかわからんものも、値段がついて売ってるのである。


これはバケツのたぐいであると思われるが、T4と書いてある番号札はなんなのかは不明である。


この店のカウボーイハットにマフラーの店主はファッションも粋であるが、英語が大変堪能で、白人女性と普通に会話してらっしゃるのである。

まあ、もちろんコミュニケーション能力にそれなりに卓越した皆さんであるので、英会話だって卓越してるのは当然であるが、外人観光客が増えてる事情で、英語での対応がそれなりに必要なのは浅草などと同じ状況であるわけである。


以前のいかにも骨董屋のおやじという風情の店主が減った代わりに、ファッショナブルなおっさんが幾人かおられて、時代の流れというのか、某つげ義春せんせーのうらぶれた風情がなくなってゆくのも多少の寂しさとともになつかしむあれこれである。


この店主もかなりのご高齢であるが、えーごで外国人女性に、その商品は大正時代のものであるとご説明してるのである。


ご高齢な店主も多々おられて、もちろんご高齢の客も多々おられるので、需要と供給が合致しているわけであるが、論点がちがってるかもしれないのは無論である。


左からブリキのおもちゃと将棋の駒形の武者絵と招き猫とお雛様と羽子板と女性用のバッグとティッシュケースという、まったく統一性のない品ぞろえであるが、まあ、新品ではないというところに統一性があるわけである。


ほとんどがテントのない路上に並べられているので、雨が降ると即撤退といういわゆるお天気商売であるが、まあ、雨が降ったら誰もこないので、やっぱりお天気商売である。


このへんで聡明な読者はお気づきと思うが、撮ってきた写真を全部使いたいわけである。

とにかく、あたしゃこの雰囲気が好きであるので、それがいくばくかでも伝われば幸いである。


ガラスの空き瓶、靴箱のカギ、ただの石、クリップ、ボタン、調味料立て、電線の碍子、シッカロールの空き缶、ペーパーナイフとなかなかのファンキーな取り合わせであるが、なんとなく古物感がでていて、マニアには雰囲気を楽しめるディスプレーである。

いや、わかりませんが。


頻繁に客に声をかける店主もいれば、黙って座ってる店主もいるのである。

あたしは黙って座ってる店主になりたいが、すぐ飽きるので無理である。

どうしても骨董市の店主になりたいのかよ。


とにかく、人によっては宝ものであり、人によってはゴミであるが、つまり、物の価値は心の価値であるわけである。


いわゆる茶器の店であるが、茶道についてはなんのたしなみもないので、当然、茶わんの価値なんかわかるわけもないのである。

まあ、あたしゃある意味で物欲がないので、骨董品や宝石から一番遠い人間のたぐいであるかもしれないのである。

じゃあ、なにしに骨董市にきてるんだ?という声もあるのは当然であるが、まあ、来て見りゃわかるてなことである。


いわゆるパワーストーンのたぐいであるが、そのパワーは買った人の心のありかたしだいであるのは言うまでもないことである。


五重塔の下でも何かいいものはないかとあさりまくる皆さんで大賑わいである。


それでふと見ると、なにやら掛け軸らしきものを店主が拡げておられるのである。

見てみると真島東紅センセーの紅富士である。

ううむ、これは欲しい。

しかし、先客がいるので、実に残念である。


しかし、しばらくして戻ってみると、交渉が不成立だったらしく、その掛け軸が箱入りでまだ置いてあったのである。

それで、絵を確かめてみたら印刷ではなく肉筆本物である。

それで店主のおじさんに「いくら?」と言ったら、「500円」「えええええええ、ごっごっごっごしゃくえん?」てなことで即刻お買い上げである。


これがその紅富士飛鶴の掛け軸である。

木立の奥行といいい、雲海から垣間見える富士の雄大な描写といい、その前を飛ぶ鶴の景色といい、さすがは東紅センセーの本物である。


でも、確認のために箱書きをみたら、これが東紅ではないのである。

教養が邪魔してよくわからんが、おそらく東祝てなサインである。

東祝ってだれだ?

しらんがな。

まあ、500円だから。


それで、本来の参拝目的の火防守りのお札である。

これでわが道場も火の災厄から守られるのである。



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