まあ、毎年の我が家先祖伝来の恒例で2月あたりに高幡不動尊の火防守りのお札を買いに、いやもとい、いただきに行くのであるが、ついでに第三日曜に開催される骨董市のござれ市もご見学になるのである。
それで、今年のござれ市に来てみると去年までとなんとなく雰囲気が変わって、まず外人観光客が多いのである。
さらには、マニアが集まる骨董品の店が少なくなって、土産物的なものが多くなっているのにあーらびっくりねである。
まあ、市の名称がなんでもござれのござれ市であるから、まあ、それはそれでよろしいわけであるが、それでも雰囲気はそれなりである。
若いおねーさんや家族連れも多く、以前の骨董マニアのうらぶれたおじいさんばかりという雰囲気ではなくなって、なんとなく華やいだおもむきである。
骨董好きのおじいさんよりも女性客が多いので、骨董市というよりはリサイクル市てな方向に向かってるのかもしれないのである。
まあ、いずれにしても、あたしにとってはゴミの集積場的なおもむきであるので、ゴミに埋もれて漂い歩くてな雰囲気に浸るばかりであるので、ござれ市の経済効果に貢献しないことおびただしいのである。
これは筆や文鎮のたぐいであると思われるのであるが、これにもまったく興味がないので、価値はまったくわからんのである。
これはとっくりか甕(かめ)のたぐいであると思われるが、いっしょにペコちゃんの絵のペールや粉ミルクのの空き缶も置いてあったりして、コンセプトがいまひとつわからんが、わかる人にはわかるかもしれないのである。
マネキンの生首を売ってるのではなく、どうもアクセサリーの類いを首にかけて展示してるもようである。
店主のおじいさんがなかなかの雰囲気で、あたしもこんなふうに露店の店先に座って人生を楽しみたいが、客の相手がめんどくさいので無理である。
これはなかなかわかりやすい品ぞろえであるが、陶器も磁器もガラスの器もぜんぜん興味がないので、なんだかわからんのである。
いつものてきやの焼きそば売りのおじさんの店も出ていて、親子連れが焼きそばやたこやきなんかを食ってるのであるが、あたしはこのあとスペイン料理を食いに行く予定であるので、スルーである。
広い店もあれば畳半畳の店もあるので、これは広さによって料金が違うと思うが、ここに店を出すにはどこへ問い合わせればいいのかと考えるだけでもめんどくさいので、骨董の露天商になるのは無理である。
まあ、以前は日に焼けてまっくろけのおっさんの店主が多々おられたのであるが、おなじみのおっさんが数人おられなくなって、女性の店主が多々増えておられるのである。
もちろんこのコンテナの中身も商品であるので、廃棄するわけではなく売ってるのである。
赤い防火用水のドラム缶も売ってるのであるが、これをこのござれ市で買うのはどんな人なのかと思うのはあたしだけではないと思うのである。
このなんかわからんものも500円均一で売ってるのである。
さらになんだかわからんものも、値段がついて売ってるのである。
これはバケツのたぐいであると思われるが、T4と書いてある番号札はなんなのかは不明である。
この店のカウボーイハットにマフラーの店主はファッションも粋であるが、英語が大変堪能で、白人女性と普通に会話してらっしゃるのである。
まあ、もちろんコミュニケーション能力にそれなりに卓越した皆さんであるので、英会話だって卓越してるのは当然であるが、外人観光客が増えてる事情で、英語での対応がそれなりに必要なのは浅草などと同じ状況であるわけである。
以前のいかにも骨董屋のおやじという風情の店主が減った代わりに、ファッショナブルなおっさんが幾人かおられて、時代の流れというのか、某つげ義春せんせーのうらぶれた風情がなくなってゆくのも多少の寂しさとともになつかしむあれこれである。
この店主もかなりのご高齢であるが、えーごで外国人女性に、その商品は大正時代のものであるとご説明してるのである。
ご高齢な店主も多々おられて、もちろんご高齢の客も多々おられるので、需要と供給が合致しているわけであるが、論点がちがってるかもしれないのは無論である。
左からブリキのおもちゃと将棋の駒形の武者絵と招き猫とお雛様と羽子板と女性用のバッグとティッシュケースという、まったく統一性のない品ぞろえであるが、まあ、新品ではないというところに統一性があるわけである。
ほとんどがテントのない路上に並べられているので、雨が降ると即撤退といういわゆるお天気商売であるが、まあ、雨が降ったら誰もこないので、やっぱりお天気商売である。
このへんで聡明な読者はお気づきと思うが、撮ってきた写真を全部使いたいわけである。
とにかく、あたしゃこの雰囲気が好きであるので、それがいくばくかでも伝われば幸いである。
ガラスの空き瓶、靴箱のカギ、ただの石、クリップ、ボタン、調味料立て、電線の碍子、シッカロールの空き缶、ペーパーナイフとなかなかのファンキーな取り合わせであるが、なんとなく古物感がでていて、マニアには雰囲気を楽しめるディスプレーである。
いや、わかりませんが。
頻繁に客に声をかける店主もいれば、黙って座ってる店主もいるのである。
あたしは黙って座ってる店主になりたいが、すぐ飽きるので無理である。
どうしても骨董市の店主になりたいのかよ。
とにかく、人によっては宝ものであり、人によってはゴミであるが、つまり、物の価値は心の価値であるわけである。
いわゆる茶器の店であるが、茶道についてはなんのたしなみもないので、当然、茶わんの価値なんかわかるわけもないのである。
まあ、あたしゃある意味で物欲がないので、骨董品や宝石から一番遠い人間のたぐいであるかもしれないのである。
じゃあ、なにしに骨董市にきてるんだ?という声もあるのは当然であるが、まあ、来て見りゃわかるてなことである。
いわゆるパワーストーンのたぐいであるが、そのパワーは買った人の心のありかたしだいであるのは言うまでもないことである。
五重塔の下でも何かいいものはないかとあさりまくる皆さんで大賑わいである。
それでふと見ると、なにやら掛け軸らしきものを店主が拡げておられるのである。
見てみると真島東紅センセーの紅富士である。
ううむ、これは欲しい。
しかし、先客がいるので、実に残念である。
しかし、しばらくして戻ってみると、交渉が不成立だったらしく、その掛け軸が箱入りでまだ置いてあったのである。
それで、絵を確かめてみたら印刷ではなく肉筆本物である。
それで店主のおじさんに「いくら?」と言ったら、「500円」「えええええええ、ごっごっごっごしゃくえん?」てなことで即刻お買い上げである。
これがその紅富士飛鶴の掛け軸である。
木立の奥行といいい、雲海から垣間見える富士の雄大な描写といい、その前を飛ぶ鶴の景色といい、さすがは東紅センセーの本物である。
でも、確認のために箱書きをみたら、これが東紅ではないのである。
教養が邪魔してよくわからんが、おそらく東祝てなサインである。
東祝ってだれだ?
しらんがな。
まあ、500円だから。
それで、本来の参拝目的の火防守りのお札である。
これでわが道場も火の災厄から守られるのである。
写真でポン