気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2018年4月30日月曜日
誰もいない清里駅前を歩く
まあ、なんである、30年ぐらい前の猫も杓子も清里てな清里全盛期に、駅から少し離れた畑の中に忽然と現れた某デズニーランドまがいの建物が並ぶなんとか通りに一度物見遊山に来て、宣伝にのせられて集まったおねーちゃんおにーちゃんに混じって大混雑の中、馬鹿丸出しでうろうろしたことがあるのである。
「あの清里はいったいどうなったのかね?」とふと思い立って、その当時の清里の記憶を呼び覚まし、清浄であった若かりし日々の追憶と回想に浸ってはらはらと涙を流し、金と浮世の汚濁にまみれたわが身の今を建て直そうと、中央フリーウエイをひた走って来てみたのであるが、そのときに立ち寄ったなんとか通りの商店街も建物も、すでに跡形もなくなっていたのである。
どこがどこやらわからん状態では記憶もへったくれもないので、そこからテクテク歩いて駅前通りに来てみたのであるが、ここもご覧の通りの無人状態である。
東京からは軽井沢よりはるかに交通の便がよろしいと思うのであるが、売りがいまひとつはっきりとしないせいか、正午近くであるのにだーれもいないのである。
駅前のいわゆるメインストリートであるのに店はほとんど閉店していて、当時の有名店も売り物件てな札も貼ってあるのである。
星の王子様も廃屋の王子さまになってしまったのである。
なにしろ店名が星の王子さまであるから、この店で出会った男女にいかなる恋物語が展開されたのかされなかったのか、この状態からはどーやってもこーやっても想像するべくもないのである。
かのMLK POTもあらいやんてな具合になってるのである。
それでも駅周辺はきれいに整備されて、駅にはSLも展示されていて、なかなかいい雰囲気であるが、駅前通りには広大な無料駐車場があるにも関わらずだーれもいないし、駅からもだーれも降りてこないのである。
語弊はあるが、いわば町おこしが完全に失敗してしまったわけである。
観光協会・商店会の皆様にはいっそうの奮闘努力を願うばかりであるが、もちろん大きなお世話である。
ううむ、まあ、こんなとこかな。
写真でポン