気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2018年1月26日金曜日
2,018年正月3日朝の鶴ケ丘八幡宮入口の三の鳥居付近の雑踏
なにしろ鎌倉観光の中心ともいえる鶴岡八幡宮であるので、正月に限らず善男善女かどうかは別にして、電車を降りると我も我もとここを目指してお歩きになるのである。
これが正月三が日ともなると朝っぱらからこの騒ぎである。
大晦日から元旦にかけては、境内の露天商や付近の飲食店や土産物屋やその他の商店の皆さんはこのときとばかりに体力の限界に挑戦して夜も寝ずにおかせぎになるわけであるが、この日は3日であるので、ある意味落ち着いた雰囲気を醸し出しているのである。
まあ、これから時間を経るごとに大混雑になって殺気立った様相を見せるのかどうなのかは定かでないが、鎌倉の正月は「悔い改め なさい、天の御国は近づいた」の拡声器もにぎやかに、あたしら観光客の心を和ませるのである。
まあ、鎌倉に来る目的が刺身と酒であるので、昼近くになると霊能グルメレポーターとしてそのための店探しに命がけで、参拝どころではないので、すいてるうちに拝んどけと思って拝殿の方にスタスタと軽やかに歩を進めたら、これが案に相違して朝っぱらから大行列で、並ぶことをなによりもヘイトするあたしはすぐギブアップして、付近の神社仏閣に向かったのはいうまでもないことである。
子どものころから数十年にわたって鎌倉に初もうでにご巡行あそばしておられるので、あれこれ行きつくしたと思われる昨今であるが、それでも、まだお参りしていない神社仏閣があって、鎌倉のお寺さんや神社は檀家氏子の取り合いで経営も困難を極めることも想像に難くないのである。
壇かずらの通りには「お寺cafe」なるものもできていて、「こりゃなんだろう?」とご入店したら、浄土真宗の僧侶と思しきおじさんがコーヒーを持ってきたのである。
まあ、宗派としての教義の普及なのか副業なのか多角経営なのかはさておいて、実に地道なご商売に精出しておられるので、「ありがたいありがたい」と合掌せずにコーヒーをいただいたのである。
ちゃんちゃん。
まあ、こんなことでひとつ。
写真でポン