気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2012年9月13日木曜日
夏の伊豆の神々
まあ、秋風がそこかしこに吹き始めて雑草が黄色くなり始めて
ああ、今年の夏も終わってしまったのね
と物悲しくなる今日このごろであるのである。
今年も海水浴は伊豆ということで、今井浜海水浴場と大瀬海水浴場に
泳ぎに行ったわけである。
おそらく来年も伊豆に行くのである。
べつにあたしは伊豆マニアとゆーわけではないのであるが
東京から近くて、水がきれいな海水浴場というと
どうしても伊豆になるのである。
まあ、あたしは湘南育ちであるので、子供の頃は由比ヶ浜、腰越、江ノ島てな
海水浴場でうきわにつかまってぷかぷか浮いてたのである。
しかし、大人になってみると、排水による水の汚染が気になって
さすがに泳ぐ気がなくなって、すっかり行かなくなってしまったのである。
最近は下水、浄化槽の整備で江ノ島付近の水もきれいになったつーことであるが
それでも、どうも近所で泳ぐのは心が折れるのである。
それで、まあ、少し遠くに行けば人家がなくなって
水もきれいになるだろうといういことで
東名高速を使って3時間以内ぐらいの海水浴場を探すと
やっぱり伊豆になるのである。
まあ、伊豆に行く前にも、米神、真鶴付近にも泳げるところは多々あるのであるが
これ、一時期釣りに凝ってたときがあって、その辺一帯を釣り倒したので
海底が釣り針だらけのイメージがあるので泳ぐ気にならないのである。
まあ、お子様だった頃は岩場でモリで魚を突いたりするのが
大好きであったので、魚がいればどこでもよかったのであるが
いつのころからそれも飽きてしまって、泳ぐだけになってしまったのである。
そうなると、できるだけ水のきれいな海水浴場はどこだろうかと
探すようになって、伊豆になったわけである。
実際に日本の海のいいところはいわゆる潮の香りというのか
実際には魚やプランクトンの腐敗臭であると思うが
あの「海のにおい」であるのである。
これが、外国のリゾート地の海ではこの「海のにおい」がないのである。
ところが日本の海でも、水のきれいな場所に行くと
やっぱり「海のにおい」があまり感じられないのである。
あれはきっと幼い頃に江ノ島、鎌倉付近の汚れた「海のにおい」が
脳にインプットされてしまったせいかもしれないのであるが
とにかくあのにおいを嗅ぐと「ああ、海だ海だ」と思うのは
あたしだけではないと思うのであるが
どーたかわからないのである。
人間は脳に組み込まれた過去の記憶で現在を認知認識するわけである。
時間は一瞬も留まることなく過ぎゆき
あたしの記憶は一瞬の間に時の彼方に遠ざかるのである。
まあ、てなことで今年の夏も終わりであるのである。
Camera:LUMIX DMC-FH6
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