気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2012年5月10日木曜日
武蔵御嶽神社玉垣内の摂社末社
武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)は、東京都青梅市(武蔵国多磨郡)にある神社である。
中世以降、山岳信仰の霊場として発展し、武蔵・相模に渡る信仰圏を獲得し、式内大麻止乃豆天神社という説があり、旧府社である。現在は神社本庁に属していない単立神社であるのであるのである。
つーことで、型通りの武蔵御嶽神社のご紹介を滞りなくすませて、まあ、毎年あたしはこの神社に大口真神の御神札を戴きに詣でるわけであるが、前回は詣でた日がたしか休日であったせいか、本殿拝殿裏側の玉垣が閉まっており、立入禁止になっていて、摂社末社を写真に撮れなかったのである。
しかし、今回は、なんのこともなく玉垣の入り口の冊の扉が開いていて、出入り自由だったのである。
まあ、とにかく摂社末社を全部写真に撮ったわけであるが、これがもう盛りだくさんで、多すぎてどんな神様が祭ってあるのかわけがわからないのである。
ちなみに玉垣内には、二柱社(伊弉諾尊と伊弉冉尊を祭る)、八柱社(春日社、八幡社、䗝養社、八雲社、座摩社、月乃社、国造社、八神社を祭る)、北野社(菅原道真を祭る)、巨福社(埴山姫命を祭る)、神明社(天照大神を祭る)、大口真神社(おおくちまがみ しゃ)(大口真神を祭る)、常磐堅磐社(ときわかきわ しゃ)崇神天皇・景行天皇・安閑天皇・清和天皇と狭依比売神ほか96柱を祭る)、皇御孫命社(すめみまのみこと しゃ)(瓊々杵尊祭る)、東照社(東照大権現祭る)があるのであるが、どれがどれやらわからないので、まあ、全部まとめて恒例のありがたいありがたいてなことでお礼を申し上げたのはいうまでもないことであるのである。
なんでもお礼をいっとけば、そら誰でも悪い気はしないのである。
お礼を言われて「このやろう、おべんちゃら使いやがって、バチててやる」なんて神様はおそらくいないのである。
まあ、これ、おそらくであって、なにしろ神様のことであるので、話し合いはとてもできだもんじゃありませんの、中には虫の居所が悪くて意味もなくとんでもない神罰を下して「ざまーみろ」なんてことになるかどうかはなんともいえないのであるが、現在もあたしは元気でこんなでたらめなブログを書いているわけであるので、とくに取り立てて神様のご機嫌をそこねたてなことはないわけである。
御存知の通り、神も仏もないあたしであるが、あたしは、まあ、当面の目標は親族の平均寿命の95歳を上回るのが目標であるので、これが、150歳まで死ななくなるご利益の神様てなもんがあったら、そら本気でお参りしちゃうのである。
しかし、そんなもんがあったら、世界中から欲得強欲の衆生が押しかけて身動き取れなくなって、将棋倒しで押しつぶされて下敷きなって寿命が終わる人も出たりして、中には順番待ちでもめて刺されてお亡くなりになる人もでたりして、神様は呆れてすぐ昇神されて、河岸を変えてどっかに行ってしまうのである。
ううむ、神様が河岸を変えるてな物言いはどーなのかとは思うが、ああ、飽きてきた、終わり。
てなことで、どれどれ。
直すのめんどくさいから誤字脱字がありませんように。
いや、べつに神様にお願いしてるわけじゃないのである。
ううむ、でも、やっぱり神様にお願いしてるかね。
神様にうっかりお願いしたりするとバチが当たりますよ。
Camera:RICOH GRDⅢ
写真サイト
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿