2018年2月19日月曜日

高幡不動ござれ市



東京都日野市にある高幡不動尊金剛寺のござれ市を歩いてみたのである。

開催日は毎月第3日曜で、朝7時から午後4時までの、いわゆる骨董市である。

この日は寒いながらも好天に恵まれて、駐車場には観光バスも停まっていて、朝から交通整理のガードマンが大忙しである。

ううむ、いかんな文章に切れも洒落も皮肉もなくて、馬鹿丸出しの定型文みたいになってるのである。

これでは次回の芥川賞も絶望的である。

だれが芥川賞だ。


まあ、おそらくござれ市のござれはなんでもござれのござれであろうことはあたしみたいな愚か者にもご想像に難くないござれであるが、そのござれの名の通り、古着古本から古銭、宝石、アクセサリー、花器、茶わん、茶釜、洋食器、香呂、掛け軸、暖簾、前掛け、半纏、ポスター、洋画、日本画、仏像、鉄器、農工具、盆石、ミリタリー、電話機、時計から墨付けの墨壺などなど、古いものならなんでもござれの品ぞろえでお客様をお待ち申し上げてござれるのである。


まあ、あたしは敬虔な仏教徒として、毎年この時期の恒例で、火防守りのお札をもらいがてら、何度かこのござれ市にお越しになっているのであるが、なんというか、わかる人はわかる昔懐かし某つげ義春先生の世界である。

しかし、骨董品にまったく興味のないあたしには、関係者の皆様方にまことに失礼ながらごみ不用品の集積場に入り込んだ面持ちで、押し入れの奥にしまいこんで忘れた衣類の匂いに包まれて、そこはかとない退廃的な雰囲気にじっくりと浸りこんで楽しむ心意気である。

無駄な言い回しが無駄に多すぎるし、心意気の使用法がまったく違うというご指摘には素知らぬ顔でスルーして、まあ、ものがものだけに客の大半は六十代以降のおじーさんおばーさんであるが、それでも、若いカップルや小さなお子様連れの若いご夫婦もおられたりして、某テレ東鑑定団の威力は骨董品を老若男女に認知させたという点で、この手の業者さんにはあだやおろそかにできないそれこれであるなあと感慨もあれこれするのである。

まあ、実際にどうみても廃品回収のごみとしか思えないものを集めて売ってる店もあって、いくらなんでもこんなものを買う人がいるのかねなんて思ってると、真剣にそのごみの値段を聞いてるおばあさんがおられたりして、そのごみの価値を真顔であれこれ講釈している業者のおじさんがいて、この市の楽しみ方の一環を垣間見るあれこれである。

物の価値は、欲しい人がいればごみも値千金の宝ものであるのは言わずもがなである。

それが資本主義の原理原則で、需要と供給の妙なる調べであるが、あたしが品定めのふりをしてあれこれ品物を見てても、業者さんがだーれも話しかけてこないのは、あたしに需要がないので供給する気がないということであるわけである。


上の写真のおじさんたちのようなファッション色合いのいで立ちが正しいマニアの方向性であるとすれば、あたしは上から下まで黒一色で、異様といえば異様であるので、店のおじさんとの粋な骨董品うんちくおしゃべりは望んでも無理であるかもしれないのであるが、まあ、どっちにしてもまったく興味がないので、話のしようもないのである。

なら来るなと言われればぐうの音も出ないが、それもこれも死ぬまでの暇つぶしの一環としての時間の過ごし方のバリエーションであるので、ここはひとつ大目に見て、あたしの勝手にさせてくれであるのである。

てなことを言ってるが、実はこの雰囲気がこれでけっこうお気に入りであるので、来るなと言われても次回も来るのである。

でもなんにも買わないのである。

いわば、ござれ市にとっては最低の客であるが、まあ、枯れ木も山の賑わいということで、いわゆる露店のサクラのお役目は果たしているかもしれないのである。

この世に無駄なものは何一つないということである。

一見、まったくの無駄な存在に見える不肖象師匠だって、このように世の中のお役に立っているのである。

ううむ、なんか書けば書くほど自分が情けなく感じてくるのはなんでかしらん。

それで、まあ、あたしゃ午前10時半ぐらいに到着したのであるが、どうも、骨董品マニアや通の皆さんはくだんの某テレ東の鑑定団に出てくるような掘り出しものを求めて朝の7時からお越しになるらしく、売るものは売ったということなのかどうなのか、すでに閉店の片づけを始めた業者の方もおられて、あーらびっくりねである。


つまり、目利きの皆さんと業者さんとの熾烈な駆け引きは早朝に終わったせいなのかどうなのか定かではないが、この時間以降はあたしみたいな物見遊山か、業者さんに絡んで会話を楽しむことが目的のご老人が多く、売る気も買う気もそこそこのリラックスした雰囲気が醸し出されていて、なかなかこれはこれで実にナニである。


店によっては店頭に数万円のものを置いてる店もあって、それはそれでなるほどねという品であるが、500円均一てな実にお買い得な店もあるので、楽しみかたはそれぞれである。


この日は好天のせいなのか時節柄なのか、いつもより業者さんの数が多く、参道の外れから通路の端の方の境内の隅々まで店が出ていて、その数は百数十店以上であるかもしれない賑わいである。


つーことで、もらってきた火防守りのお札であるが、「もらってきた」は失礼であるので「頂いてきた」である。

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