2018年11月17日土曜日

甲州街道小原宿本陣



相模湖(神奈川県)の近くの甲州街道小原宿の本陣である。

本陣であるので、かつてはお大名が参勤交代の際にご宿泊になったわけであるが、昨今の状況からみるとじつに狭く簡素なお部屋であったという、感慨深いご見学である。

表門から玄関まで撮影して、さらに裏門から裏口を見て玄関までという、実に丁寧に行き届いたロケである。

この施設は二百数十年前からの保存であり、公的な予算が下りているため、お掃除も植木の手入れも行き届き、ご案内のおじさんもおられて、無料で内部や展示物をあれこれ説明していただけるのである。


玄関の上り座敷にある大名駕籠はレプリカのため乗車OKである。

当時の皆さんの身長が150㎝程度とすると、まあ、問題はないのかもしれないのであるが、試しに乗ってみると、とにかく窮屈で、降りるのに四苦八苦するのである。

この本陣の当主は地域の名主庄屋てな立場で、税の徴収などの公的な役目を持つ大地主であったそうである。

この家の屋根裏では養蚕を行っていたということで、四層建てになっているのである。

また、醤油絞りの道具や唐箕などの農家で使われた当時の道具があれこれ残っているので、歴史マニアや骨董マニアにはたまらんあれこれである。

もちろん、あたしは歴史マニアでも骨董マニアでもないので、まったく興味も関心もないが、仕事の通りがかりのお楽しみにあちこち探検隊である。

秋だしね。

まあ、こんなとこかな。


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2018年11月9日金曜日

中之条ダム(群馬県)の天端を歩く



中之条ダム(なかのじょうだむ)は群馬県吾妻郡中之条町大字四万字殿界戸29-1、袋内18-2にあるアーチ式コンクリートダムで、ダム湖は四万湖である。

さらに上流に四万川ダムがあり、そのダム湖は奥四万湖であるが、ややこしいなんて言わないで、ダムマニアとしてはしっかりと区別しないといけないのである。

誰がダムマニアだ。

まあ、とにかくその中之条ダムの天端(てんば)をてくてくと歩いて往復である。


天端というのは堤体(ちょうだい)のてっぺんのことであり、たいていは歩道や車道になっているのである。

堤体というのはダムや堤防の本体のことであるが、ちなみに堤頂長(ちょうていちょう)は堤体のてっぺんの長さのことであり、堤高(ちょうこう)は堤体の高さのことである。

中之条ダムの堤高は42mで、堤頂長は118.2mであるが、そんなことを数字で理解するのは無理であるので、動画でその高さと距離を実感していただきたいわけである。

ところが、靴がダッドシューズの帝王のホカオネオネであるせいか、勝手に足が進む半面、動画がホカホカ揺れてあらいやんである。

ホカオネオネについてはなんのことかわからん向きも多かろうとおもうが、ちなみにあたしが履いているのはプロレスラーの棚橋選手もご愛用のボンダイ5である。


ダムとまったく関係ないと思う向きもあるとは思うが、立つこと歩くことが気功の基本であるのはいうまでもないことであるので、靴の性能は気功家としての生命線でもあるわけである。

さらには、人生の暇つぶしとして観光地を歩きまわるのが趣味であるあたしとしては、靴イコール人生といっても過言ではないわけである。

てきとーにキーボードを打ってるなとお気づきの読者もおられると思うが、すまん。


行けば帰るのは当たり前であるが、ダムマニア以外には退屈極まりない往復の動画をアップするというのはこれでなかなかの勇気である。

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2018年11月5日月曜日

四万川ダムを歩く



群馬県の四万温泉の近くの奥四万湖の四万川ダムの堤を歩いてみたのである。

四万川ダムは群馬県吾妻郡中之条町四万地先の利根川水系四万川に建設された重力式コンクリートダムで、堤高の89.5メートルは群馬県が運営するダムとしては最も高いダムであるてなことである。


あたしはいわゆる高所恐怖症であるので、このぐらいの高さがあると、遊園地でジェットコースターにのらなくても、実にスリルと恐怖を堪能できるのである。


勇気を出して下を見てみると、今夜の夢でうなされそうな景色である。

まあ、無理やりバンジーをさせられるタレントの気持ちが嫌というほどわかるわけであるが、これはいくら金をもらってもあたしには無理である。


ダムの下には日向見公園(ひなたみこうえん)てな施設があり、その先には川沿いに四万温泉の温泉街が広がるのである。

実に風光明媚で心安らぐ景色のはずであるが、上から下を見ると恐怖で腰が抜けそうなあれこれである。

たはは。


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2018年11月4日日曜日

四万温泉の積善館を見に行く



まあ、なんである、積善館(せきぜんかん)は千と千尋の神隠しで千尋が働く油屋のモデルとなった温泉宿のひとつといわれているためか、カメラを構えた観光客がどんどんご見学に来られるのである。

モデルのひとつであるから、他にも国内外にいくつかそのモデルがあるわけであるが、あたしは宮崎マニアでもジブリマニアでもないので、詳しく知らんので、お好きな向きはお調べ頂いて、「なるほど、そうだったのか!」と感動してお楽しみいただきたいのである。


群馬県を流れる四万川の上流のどん詰まりの温泉街に、おねーちゃんのグループや若いカップルがけっこうな数でおられるのは、この宿のせいであるかもしれないのであるが、お尋ねしたわけではないので、あたしの勝手なご想像であるのは言うまでもないことである。

この宿の近くの定食屋から欧米人のグループがぞろぞろ出てきて、あたしに向かって「オイシイ」てなことを言ってるので、この辺鄙な温泉街が意外な人気であることに、あーらびっくりねという、四万温泉観光協会および商店会の皆様方には大変失礼な感想を述べる次第である。

宮崎センセーは実際にこの宿にお泊りになって、内部を取材なさったそうである。

しかし、あたしは昨今お泊りの条件がバストイレ付き朝夕バイキング付きということを譲れないので、積善館は元禄年間に開業したと言い張る、実に三百有余年の歴史を持つ由緒あるお宿であるが、バストイレ無しバイキング無しのこのお宿には残念ながらお泊りにならなかったので、作品で描かれたお部屋や廊下の詳細は取材無しである。

なにしに行ったんだ。


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2018年11月2日金曜日

四万の甌穴群(天然記念物)を見に行く



群馬県中条町にある四万温泉の観光名所の「四万の甌穴群(しまのおうけつぐん)」である。

甌穴は川の水流による浸食で岩面にできた穴のことである。

四万川に沿って四万街道353号線を昇って行き、奥づまったところに群馬県の湯どころ四万温泉があるのである。

その四万温泉の観光名所のひとつが四万の甌穴群である。

だからなんだといわれると言葉に窮するが、まあ、見どころとしては実にあれこれで、こんな奥まったところに観光客が引きも切らず、観光バスも来たりして、けっこうな賑わいである。


その美しさは冒頭の動画をご覧いただければ、あたしのてきとーな美辞麗句なんかがなくてもご納得の限りであると思うが、周囲の紅葉とのコラボでさらに心は癒されてあたしの未来は光り輝く宇宙の果てにとんでとんでイスタンブールである。

どんだけ古いんだ。

ううむ、後場に入ってもさして動きのなかった日経225が、今、いきなりの暴騰であるので、しばらく銘柄の成り行きをご覧にならなければならないのである。

あらら、昨日指値を入れた銘柄が約定してしまった。

ああ、もう少し指値を高くすればよかった、てな嘆きはいつものことで、ここがなかなか渋いところである。

こんな旅行とひまつぶしのブログができるのも、みんな某東証様のおかげであるが、地上最強の霊能力を持ち合わせた不肖象師匠といえども、株が見えるまでには数年の時を要したのであるから、しろーとさんが欲ぼけで参入すればいわゆるシテにいいように翻弄されるだけであるので、お勧めはしないのである。

いい景色の動画に殺伐とした投機おばくちの文章で、いったいなんの目的があるのかないのか、今日も日は暮れてゆく。


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2018年4月30日月曜日

誰もいない清里駅前を歩く



まあ、なんである、30年ぐらい前の猫も杓子も清里てな清里全盛期に、駅から少し離れた畑の中に忽然と現れた某デズニーランドまがいの建物が並ぶなんとか通りに一度物見遊山に来て、宣伝にのせられて集まったおねーちゃんおにーちゃんに混じって大混雑の中、馬鹿丸出しでうろうろしたことがあるのである。

「あの清里はいったいどうなったのかね?」とふと思い立って、その当時の清里の記憶を呼び覚まし、清浄であった若かりし日々の追憶と回想に浸ってはらはらと涙を流し、金と浮世の汚濁にまみれたわが身の今を建て直そうと、中央フリーウエイをひた走って来てみたのであるが、そのときに立ち寄ったなんとか通りの商店街も建物も、すでに跡形もなくなっていたのである。

どこがどこやらわからん状態では記憶もへったくれもないので、そこからテクテク歩いて駅前通りに来てみたのであるが、ここもご覧の通りの無人状態である。

東京からは軽井沢よりはるかに交通の便がよろしいと思うのであるが、売りがいまひとつはっきりとしないせいか、正午近くであるのにだーれもいないのである。


駅前のいわゆるメインストリートであるのに店はほとんど閉店していて、当時の有名店も売り物件てな札も貼ってあるのである。


星の王子様も廃屋の王子さまになってしまったのである。

なにしろ店名が星の王子さまであるから、この店で出会った男女にいかなる恋物語が展開されたのかされなかったのか、この状態からはどーやってもこーやっても想像するべくもないのである。


かのMLK POTもあらいやんてな具合になってるのである。


それでも駅周辺はきれいに整備されて、駅にはSLも展示されていて、なかなかいい雰囲気であるが、駅前通りには広大な無料駐車場があるにも関わらずだーれもいないし、駅からもだーれも降りてこないのである。

語弊はあるが、いわば町おこしが完全に失敗してしまったわけである。

観光協会・商店会の皆様にはいっそうの奮闘努力を願うばかりであるが、もちろん大きなお世話である。

ううむ、まあ、こんなとこかな。

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2018年2月19日月曜日

高幡不動ござれ市



東京都日野市にある高幡不動尊金剛寺のござれ市を歩いてみたのである。

開催日は毎月第3日曜で、朝7時から午後4時までの、いわゆる骨董市である。

この日は寒いながらも好天に恵まれて、駐車場には観光バスも停まっていて、朝から交通整理のガードマンが大忙しである。

ううむ、いかんな文章に切れも洒落も皮肉もなくて、馬鹿丸出しの定型文みたいになってるのである。

これでは次回の芥川賞も絶望的である。

だれが芥川賞だ。


まあ、おそらくござれ市のござれはなんでもござれのござれであろうことはあたしみたいな愚か者にもご想像に難くないござれであるが、そのござれの名の通り、古着古本から古銭、宝石、アクセサリー、花器、茶わん、茶釜、洋食器、香呂、掛け軸、暖簾、前掛け、半纏、ポスター、洋画、日本画、仏像、鉄器、農工具、盆石、ミリタリー、電話機、時計から墨付けの墨壺などなど、古いものならなんでもござれの品ぞろえでお客様をお待ち申し上げてござれるのである。


まあ、あたしは敬虔な仏教徒として、毎年この時期の恒例で、火防守りのお札をもらいがてら、何度かこのござれ市にお越しになっているのであるが、なんというか、わかる人はわかる昔懐かし某つげ義春先生の世界である。

しかし、骨董品にまったく興味のないあたしには、関係者の皆様方にまことに失礼ながらごみ不用品の集積場に入り込んだ面持ちで、押し入れの奥にしまいこんで忘れた衣類の匂いに包まれて、そこはかとない退廃的な雰囲気にじっくりと浸りこんで楽しむ心意気である。

無駄な言い回しが無駄に多すぎるし、心意気の使用法がまったく違うというご指摘には素知らぬ顔でスルーして、まあ、ものがものだけに客の大半は六十代以降のおじーさんおばーさんであるが、それでも、若いカップルや小さなお子様連れの若いご夫婦もおられたりして、某テレ東鑑定団の威力は骨董品を老若男女に認知させたという点で、この手の業者さんにはあだやおろそかにできないそれこれであるなあと感慨もあれこれするのである。

まあ、実際にどうみても廃品回収のごみとしか思えないものを集めて売ってる店もあって、いくらなんでもこんなものを買う人がいるのかねなんて思ってると、真剣にそのごみの値段を聞いてるおばあさんがおられたりして、そのごみの価値を真顔であれこれ講釈している業者のおじさんがいて、この市の楽しみ方の一環を垣間見るあれこれである。

物の価値は、欲しい人がいればごみも値千金の宝ものであるのは言わずもがなである。

それが資本主義の原理原則で、需要と供給の妙なる調べであるが、あたしが品定めのふりをしてあれこれ品物を見てても、業者さんがだーれも話しかけてこないのは、あたしに需要がないので供給する気がないということであるわけである。


上の写真のおじさんたちのようなファッション色合いのいで立ちが正しいマニアの方向性であるとすれば、あたしは上から下まで黒一色で、異様といえば異様であるので、店のおじさんとの粋な骨董品うんちくおしゃべりは望んでも無理であるかもしれないのであるが、まあ、どっちにしてもまったく興味がないので、話のしようもないのである。

なら来るなと言われればぐうの音も出ないが、それもこれも死ぬまでの暇つぶしの一環としての時間の過ごし方のバリエーションであるので、ここはひとつ大目に見て、あたしの勝手にさせてくれであるのである。

てなことを言ってるが、実はこの雰囲気がこれでけっこうお気に入りであるので、来るなと言われても次回も来るのである。

でもなんにも買わないのである。

いわば、ござれ市にとっては最低の客であるが、まあ、枯れ木も山の賑わいということで、いわゆる露店のサクラのお役目は果たしているかもしれないのである。

この世に無駄なものは何一つないということである。

一見、まったくの無駄な存在に見える不肖象師匠だって、このように世の中のお役に立っているのである。

ううむ、なんか書けば書くほど自分が情けなく感じてくるのはなんでかしらん。

それで、まあ、あたしゃ午前10時半ぐらいに到着したのであるが、どうも、骨董品マニアや通の皆さんはくだんの某テレ東の鑑定団に出てくるような掘り出しものを求めて朝の7時からお越しになるらしく、売るものは売ったということなのかどうなのか、すでに閉店の片づけを始めた業者の方もおられて、あーらびっくりねである。


つまり、目利きの皆さんと業者さんとの熾烈な駆け引きは早朝に終わったせいなのかどうなのか定かではないが、この時間以降はあたしみたいな物見遊山か、業者さんに絡んで会話を楽しむことが目的のご老人が多く、売る気も買う気もそこそこのリラックスした雰囲気が醸し出されていて、なかなかこれはこれで実にナニである。


店によっては店頭に数万円のものを置いてる店もあって、それはそれでなるほどねという品であるが、500円均一てな実にお買い得な店もあるので、楽しみかたはそれぞれである。


この日は好天のせいなのか時節柄なのか、いつもより業者さんの数が多く、参道の外れから通路の端の方の境内の隅々まで店が出ていて、その数は百数十店以上であるかもしれない賑わいである。


つーことで、もらってきた火防守りのお札であるが、「もらってきた」は失礼であるので「頂いてきた」である。

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2018年1月26日金曜日

2,018年正月3日朝の鶴ケ丘八幡宮入口の三の鳥居付近の雑踏



なにしろ鎌倉観光の中心ともいえる鶴岡八幡宮であるので、正月に限らず善男善女かどうかは別にして、電車を降りると我も我もとここを目指してお歩きになるのである。

これが正月三が日ともなると朝っぱらからこの騒ぎである。

大晦日から元旦にかけては、境内の露天商や付近の飲食店や土産物屋やその他の商店の皆さんはこのときとばかりに体力の限界に挑戦して夜も寝ずにおかせぎになるわけであるが、この日は3日であるので、ある意味落ち着いた雰囲気を醸し出しているのである。

まあ、これから時間を経るごとに大混雑になって殺気立った様相を見せるのかどうなのかは定かでないが、鎌倉の正月は「悔い改め なさい、天の御国は近づいた」の拡声器もにぎやかに、あたしら観光客の心を和ませるのである。

まあ、鎌倉に来る目的が刺身と酒であるので、昼近くになると霊能グルメレポーターとしてそのための店探しに命がけで、参拝どころではないので、すいてるうちに拝んどけと思って拝殿の方にスタスタと軽やかに歩を進めたら、これが案に相違して朝っぱらから大行列で、並ぶことをなによりもヘイトするあたしはすぐギブアップして、付近の神社仏閣に向かったのはいうまでもないことである。

子どものころから数十年にわたって鎌倉に初もうでにご巡行あそばしておられるので、あれこれ行きつくしたと思われる昨今であるが、それでも、まだお参りしていない神社仏閣があって、鎌倉のお寺さんや神社は檀家氏子の取り合いで経営も困難を極めることも想像に難くないのである。

壇かずらの通りには「お寺cafe」なるものもできていて、「こりゃなんだろう?」とご入店したら、浄土真宗の僧侶と思しきおじさんがコーヒーを持ってきたのである。

まあ、宗派としての教義の普及なのか副業なのか多角経営なのかはさておいて、実に地道なご商売に精出しておられるので、「ありがたいありがたい」と合掌せずにコーヒーをいただいたのである。

ちゃんちゃん。

まあ、こんなことでひとつ。

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