2015年4月9日木曜日

箱根関所跡



なにしろ箱根関所跡であるが、ご見学は有料であるので、入り口で大枚500円を払ってご入場遊ばしたのである。

それで、入り口では駐車場を探す車がうろうろして危ないのであるが、入り口には障碍者用駐車場だけであるので、箱根関所跡をご見学になりたい人は、県立恩賜公園駐車場か駅伝ミュージアムのある箱根町港箱根海賊船のりばの無料駐車場に車を停めいただきたいらしいので、ご案内申し上げるのである。

駐車場のご案内までする親切な紀行文であるが、もちろん尺埋めのためのネタの一環であるのはゆーまでもないところであるのは否めないわけであるが、そうかと言って、いったい誰が読むんだこんなのなんてことを言うと、象の大神様の神罰てきめんであるということを努々(ゆめゆめ)お忘れにならぬようにご注意を喚起申し上げて次に行くのである。


入り口で500円払ってチケットを買うとパフレットももらえるのである。

そのチケットとパンフレットの説明をよく読めば関所跡の再現セットと資料館を見ることができるのであるが、てきとーをもっとーとしているあたしはチケットの記載もパンフレットの内容も見なかったので、資料館の存在すら知らなかったので、てきとーに関所跡の順路を逆に回って係りのおじさんに「お客さんお客さん、向こうから順路通りに見てください」とご注意を受けて「あらら、そうですか、どーもすんません」と陳謝して退場したのである。

箱根関(はこねのせき)は、かつては箱根にあった関所であるが、まあ、一般的には水戸黄門などの時代劇で通行手形を持ってるだのどーだのと頻繁に登場するアレである。

狭義あるいは一般的には、江戸幕府によって元和5年(1619年)から明治2年(1869年)まで、相模国足柄下郡箱根(現箱根町箱根)の芦ノ湖湖畔に設置された東海道の箱根関所(はこねせきしょ)を指すのである。

時代劇でこの箱根の関所を避けて山中の道を通って山賊に襲われて正義の味方に助けられるてな分かりやすい展開は、この箱根の関所跡であるわけである。

しかし、広義における「箱根関」は江戸時代以前に箱根山の山麓に置かれた関所及び江戸幕府が東海道と並行して走る脇往還(脇道・脇街道)に設置した関所も含んでいるつーことである。

その江戸時代以前に箱根に関所が設置された時期や詳細な経緯については定かではないが、律令期(7世紀後半~10世紀ごろ)には既に箱根峠を経由する箱根路が開設されるとともに、その路上に関所が設置されており、足柄峠の足柄路とともに関東防衛の役割を担ったつーことであるから、そらもう、とんでもない歴史があるわけである。

ご存知のかたは御存知の通り、関所の機能については「入り鉄炮に出女(いりてっぽうにでおんな)」と言われるわけである。

江戸に入ってくる鉄砲(入り鉄炮)と、大名の家族の女性が江戸より出て行かないように江戸から外に出て行く女(出女)を特に注意して取り締まったと言うことであるが、実際には箱根関では入り鉄砲の検査は行われず、出女に厳しい関所という特徴があったつーことである。

まあ、つーことで、お勉強も済んだところで、このぐらいでひとつご勘弁願いたいということで、本日もお時間となりましたので、終わりでーす。

だめだ。

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