2013年3月11日月曜日

東京宝塚劇場の赤い絨毯



東京宝塚劇場(とうきょう たからづか げきじょう)であるのである。

東京宝塚劇場は、東京都千代田区有楽町にある東京宝塚ビルの1~6階部分にある劇場で、ご存知のとおり兵庫県宝塚市に本拠地を置く宝塚歌劇団の東京での拠点本拠地つーことであるのである。

現在の劇場の全身である旧劇場は、関東大震災の復興期におけるモダニズム建築の傑作のひとつに数えられていたが、老朽化のため1997年12月29日に一旦閉場し、翌1998年1月から建替え工事を開始、2001年1月1日に現在の東京宝塚劇場として新築リニューアルオープンしたのであるつーことであるのである。

2011年3月3日、2001年1月1日のリニューアルオープン以来の来場者数が1000万人を達成し、記念セレモニーが執り行われた。リニューアルオープンから10年間の通算公演回数は約4800回、通算客席稼働率は100%以上とい大繁盛の営業成績となっているつーことであるのであるが現在の稼働率がどうなのかは定かではないのである。

建替え前の旧劇場は東宝直営で、商業演劇、歌手芝居、ミュージカル等、東宝演劇の中心地として機能しており、本来メインとなる宝塚歌劇は年数回(改築前数年間は年7ヵ月)の公演だったのである。

ご記憶の方がおられるかどうかはわからんのであるが、旧劇場は956、57、59、61~72年はNHK紅白歌合戦の会場としても使用され、またマリオ・デル=モナコとティート・ゴッビの共演で知られる第2回NHKイタリア歌劇団での『オテロ』の公演もここで行われたのであるつーことであるが、タカラヅカに興味のない向きにはなんのこっちゃと思われる人もおられるのはいたしかたのないことであるのである。

なお、旧劇場の五階の小劇場では演芸の「東宝名人会」が常時催され、戦後に東宝演芸場と改称され、選りすぐられた寄席芸人を一堂に揃えた東京演芸界の殿堂であったのであるが、1980年8月に閉鎖され、代わりに再開発による有楽町の日本劇場の解体に伴い、日劇ミュージックホールが移転したこともあったのであるのである。

以上は、旧東京宝塚劇場の話であるので、現在の劇場に行ってもまことに残念ながら日劇ミュージックホールのレヴューはやってないのである。

建替え後、東宝は大家の立場に回り、阪急電鉄に賃貸され名実共に「東京における宝塚歌劇団の専用劇場」として再出発を図ることとなり、宝塚歌劇団の公演を目的としているため、舞台のサイズ、設備等のシステムは、宝塚大劇場(兵庫県宝塚市)と同等になっているのである。

ちなみに客席数ではこちらが約500席少くなっているのであるのである。

改築に当たり、支配人には元花組トップスターの甲にしきこと小川甲子が起用され、宝塚大劇場・東京宝塚劇場ともにその管理・運営・製作は、阪急電鉄より分社化した宝塚舞台が行っているのであるのであるつーことであるのである。

宝塚歌劇団は1914年に初の公演を行って以来、今日も人気を集める未婚の女性だけで構成された歌劇団であり、現在は花(はな)・月(つき)・雪(ゆき)・星(ほし)・宙(そら)の5組と、いずれの組にも所属しない専科に分かれているのであるが、この日の公演は星組だったのか月組だったのかさっぱり覚えていないのである。

それじゃ何しにいったのかつーと、まあ、この世のものはできうる限り一度は見るという象源流人生コンセプトにのっとり、まだタカラヅカなるものをテレビ番組では見たことがあるが、生舞台公演を見たことがなかったからであるのだる。

宝塚歌劇団は創設の当初から「老若男女誰もが楽しめる国民劇」を目指し、日本で初めてレヴューを上演した劇団として、一躍有名になったのである。

つまりレヴューという用語が日本に敷衍したのは、1913年に発足した宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)がグランド・レヴュウの名のもとに歌や踊りを演じたのが起源であるわけであるのである。

現在も、健全かつどの世代の人が見ても楽しめる演目を中心に、芝居(ミュージカル)やレヴューを上演し続けており、ジャンルは古今東西を問わず、歴史劇、ファンタジー、そしてSFまで多岐にわたるのであるのである。

まあ、つーよーなことであるのが、とにもかくにも、タカラヅカであるのである。

タカラヅカといえばあたしみたいな門外漢にはなんといっても池田センセーのベルバラ、アンドレ、オスカルであるが、本日はベルバラではないのである。

じゃあ、なんの公演だと言われても、前述のとおり覚えてないのである。

えーと、大昔のヨーロッパのどこかの国の旅芝居の役者と宮廷のお姫様と王子様が出てきて学芸会みたいなお芝居を見せられて死にそうになったのは覚えているのであるが、ううう、ストーリーも覚えてないのである。

そんなことでいいのかと言われても覚えてないんだからしょーがねーじゃんと居直るわけである。

それで、もちろん最後までご鑑賞なさって、夕食晩餐の運びとなって、外に出たら、1月真冬の寒風吹きすさぶ入り口ファサードの周囲にすごい数の女性の皆さんが黒山の人だかりであるのである。

これ、つまり出待ちであるのであるが、あたしは腹がへってたので出待ちはご遠慮申し上げてメシ食いに行ったのである。

Camera:LUMIX DMC-FH6
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