2012年9月9日日曜日

江川邸



本年度第二回象気功海水浴大会を伊豆の大瀬海水浴場で開催して、その一環として、ついでに長岡の史蹟名所を見て歩こうではないかつーよーな企画でこの江川邸に来たのである。

江川邸は伊豆国田方郡韮山(静岡県伊豆の国市韮山町)を本拠とした江戸幕府の世襲代官である江川太郎左衛門(えがわたろうざえもん)の屋敷であるのである。

中でも36代の江川英龍(えがわ ひでたつ)が著名であるのである。 

江川英龍は、江川英毅(えがわひでたけ)の次男として生まれ、江戸時代後期に世襲により伊豆韮山代官を勤めた人であるのである。

通称は太郎左衛門(たろうざえもん)、また、号の坦庵(たんあん)の呼び名で知られているのであるのである。

韮山では坦庵と書いて「たんなん」と読むことが多いのであるのである。 

太郎左衛門とは江川家の代々の当主の通称であるのである。

英龍は洋学とりわけ近代的な沿岸防備の手法に強い関心を抱き、反射炉を築き、日本に西洋砲術を普及させたのである。

さらに、地方一代官であったが海防の建言を行い、勘定吟味役まで異例の昇進を重ね、幕閣入を果たし、勘定奉行任命を目前に病死したのであるのである。

領民思いの施策を誠実に進めたことから、領民は彼を「世直し江川大明神」と呼んで敬愛したのである。

昨日のテレビ番組で偶然この英龍さんを取り上げていたのであるが、幕府軍の戦時食としての兵糧米の代わりに、炊飯する必要のないパンを持たせるということを提案したそうである。

なにしろおつむのひじょーによろしい人であったわけである。

また、江川家の江戸屋敷が幕府瓦解後、柏木忠俊の配慮で福沢諭吉に払い下げられて慶應義塾舎となり、正門は韮山に運んでこの江川邸の現在の表門となっているのである。

つーことで江川邸は由緒正しいりっぱなお家柄で、また歴史的資料としても重要な建物であるのであるが、表門から宮崎あおいの篤姫だらけであるのである。

つまり、某国営放送大河ドラマ「篤姫」で篤姫の実家のロケに使ったからであるのである。

江川英龍よりも宮崎あおいの方が観光客にわかりやすからだろうと思うが、それにしても宮崎さんのポスターや写真が色あせてさすがにそれさえも歴史を感じさせるかというと「あちゃー」と思うだけであるので、もういいんじゃなかろうかと思うのはあたしだけではないような気がするが、大きなお世話であるのである。

それで、入り口で郷土資料館とセットで400円の入場料を払って「中で江川邸の説明を聞いてください」と言われて、宮崎さん演ずる篤姫のご尊顔を拝しながら粛々と歩いて行くと江川邸玄関に行き着いて、さらに順路に沿って歩いて行くと、庫裏つまり裏口台所に着くのである。

庫裏は大変広い土間で、かまどがあり、その隣には当時の大砲も陳列してあるのである。

庫裏に入ると何やら女性が数人の観光客とおぼしき男女に何やら説明しているのである。

「なるほど、これが説明だな、でも、聞いてると見学が1時間ぐらいかかりそうだから、なかったことにしよう」

つーことで、勝手にあちこち見て歩いて、郷土資料館も見て歩いてお帰りになったのである。

まあ、これ、写真でなく動画であるが、ううむ、写真よりなんつーのかリアルね、やっぱり。

ネットはなんつっても動画だな、ううむ。

カメラをあれこれ5台も買っちまってどーすんだよいったい。

Camera:LUMIX DMC-FH6

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