気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2012年8月19日日曜日
箱根神社の神々
箱根神社(はこねじんじゃ)は、神奈川県足柄下郡箱根町にある神社で、箱根大神(瓊瓊杵尊・木花咲耶姫命・彦火火出見尊の総称)を祀り、かつて は箱根権現、三所大権現と称したのであるのである。
つーことで箱根神社のプロフィールをざっくりとご紹介したところで、さていよいよ境内をうろうろするわけである。
まあ、以前にいつ来たのか忘れてしまったのであるが、箱根神社にこんなに長い石段があるとは思わなかったのである。
まあ、さすがに天下の険の箱根の鎮守であるだけに観光地としても年々整備されたのかどうなのか、どうも周辺に昔の素朴な面影はなくて、芦ノ湖の遊覧船乗り場のあたりも近代的つーのか、すっかり様変わりであるのである。
だから、境内の観光客も当然増加してるだろうと思うのであるが、この日はちょうど何かのガイドさんの研修の一段とご一緒で、本殿前は大賑わいであるのである。
そこで箱根大神のお引き合わせなのかどうなのか、後ろから名前を呼ばれて振り向いたら、これがぜんぜん見知らぬ妙齢の美しい女性であるのである。
しかし、女性の方はどうもあたしのことをよーく知ってるみたいで旧知の間柄のようなご挨拶をされて、
「ううう、困った、だれだろう、全く思い出せない、どうしたらいいんだ」
とどぎまぎしていたら相手もそれに気付いたらしく「これならわかる?」といってバッグからメガネを取り出してかけたら思いっきり思い出したのである。
いつもメガネをかけてる女性にしばらくぶりに会って、さらにメガネをかけていなくて髪型も違うとまったく記憶の引き出しから出せないもんであることがよーくわかったのである。
まあ、メガネをかけているときはべつになんとも思わなかったのであるが、この女性がメガネを外すとヘアスタイルとあいまってじつに艶笑する口元が艶めいて見え、神の波動も手伝っていやがうえにも気持ちもあそこもここもたかまって、
「しばらくぶりにお会いしましたが、あなたの美しさにあたしのハートはぼよよんです、ここはひとつ芦の湖畔で今夜はあなたと海賊船はいかがでしょうか」
と申し上げたら、
「今日は娘と来ております」
というつれないご返事で神罰てきめんあらいやんであるのである。
神のご意志とはあたしら凡人霊能者には計り知れない奥深いものがあるのである。
いってることがまったく要領を得ないのであるが、もちろんそれもこれも含めて箱根神社の八百万(やほよろず)の神々の神意による神威であるのである。
つーことで箱根神社から芦ノ湖まで続く参道を降りて行ったら、後ろから来たカップルの彼氏が彼女に向かって、
「ほらごらん、満ち潮になるとあの鳥居が水面に浮かんでるように見えるんだよ」
と解説してるのであるが、それは安芸の宮島の厳島神社である。
まあ、こんなトンチキに一生を託すかもしれない女性の惨憺たる人生が走馬灯のように眼前に投影されて霊能者である我が身を恨むこと数秒で記憶から消去されたのである。
箱根大神はどんどんネタを用意してくれるお笑い霊能芸人には実にありがたい神様であるのである。
お願い、バチあてないでね。
Camera:LUMIX DMC-FH6
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2012年8月6日月曜日
伊豆急伊豆熱川駅
伊豆急伊豆熱川駅であるのである。
まあ、べつにあたしは鉄道マニアではぜんぜんないのである。
だから鉄道にも電車にも汽車にも新幹線にも駅舎にもレールにも興味はないのである。
しかし通りがかったのも何かの縁であるので、駅構内と周辺を散策してみたのである。
熱川駅構内の待合室にはなんと温泉旅館なんかの大浴場の入り口に置いてあるような大きな電動マッサージ椅子が3台も置かれていて、100円で数分間頭から足の先までグイングイントントングリグリとマッサージしていただけるのである。
でもグイングイントントングリグリしてもらってる人はだーれもいないのである。
あたしもとくにこってる所もないのでグイングイントントングリグリしてもらわなかったのである。
駅員さんの制服はいわゆるアロハでさすがに時代はこんなところまでクールビズであるのである。
あたしももちろんトレードマークのアロハであるので、アロハとアロハであらうふんであるのである。
駅の外には大きな足湯があって、どなたでも無料で足を茹でることができるのである。
でもだーれも足を茹でてる人はいないのである。
あたしもとくにあしを茹でる趣味はないので茹でてもらわなかったのである。
それで、さすがに熱川温泉であるので、駅の周辺にも源泉塔があちこちにあって、朦々(もうもう)と湯けむりが立ち上っているのである。
もちろんそこかしこに温泉の神が鎮座ましますのであるから、そのような気が湯とともに溢れてあなたを癒すわけであるが、心がけによってはそーでもないかもしれないのである。
Camera:LUMIX DMC-FH6
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2012年8月2日木曜日
金櫻神社の神気を撮る
山梨県甲府市にある金櫻神社である。
金櫻神社の主たるご利益は金運である。
まあ、それで、この神社にお参りしたからといって、だれもが即大金持ちになれるのかとゆーとそーでもないわけである。
そこがね、神様の不公平丸出しのところであるのである。
しかし、もしかするとあなたには神様がそのときの気まぐれて金運を授けてくれないとは断言できないわけである。
人生というのは、まあ過去の経験に照らしあわせてだいたいのことが予測できるのであるが、その中に予測でき無いことが頻々と起きるので、いーろいろお楽しみなれるようにできているのである。
もちろん、その予測できないことの中には災難もあるわけである。
しかし、逆に幸運金運の種もあちこちばらまいてくれるのである。
しかし、その神の気まぐれに気づかないとその幸運金運の種を見逃してしまい育てることはできないわけである。
だから、神社参拝つーのは、神がばらまいた種を拾いに行くことでもあるのである。
金櫻神社には少名彦命、大己貴命、須佐之男命、日本武尊、櫛稲田媛命の神々が祭祀されているわけであるが、この皆さんはなにしろ神様であるので、あんたが大将でわがままであるのである。
わがままな子供が6人もだだをこねている状態であるのである。
理性も知性も理念も論理もないのである。
ところがこのわがままな皆さんは褒められると喜ぶのである。
ちょーしにのって、幸運金運の種をばーらばら投げるのである。
逆になんかやってくれなんてーことをいうと、これ、臍を曲げて癇癪を起こして不運悪、運災、難災、災厄てな石ころやゴミを投げつけてくるのである。
つーことで神社ではいっときの油断が命取りになるである。
鳥居をくぐったら「ありがたいありがたい、神様あんたはえらいっ」といっときも休まず連呼しなければならないのである。
つまり、めんどくさいのであるが、まあ、ものごとはなんでも慣れであるのである。
あっちもこっちも前も後ろも「ありがたいありがたい」であるのである。
それで、あたしのようにあれこれ見える人は、うろうろしてる神様に「いよっ大統領!粋だねどうも、にくいよダンナッ」てなお追従を言ってこれでもかと褒め上げるのである。
すると神様てなものはわがまま放題の子供であるから、褒められればキャッキャとお喜びになって幸運金運の種をばらまくのである。
まあ、それでも当然好き嫌いはあるので、あなたが行ったら何もしなくても石を投つげるかもしれないのである。
それもこれもありがたーい神意であるのである。
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