2011年10月10日月曜日

北口本宮冨士浅間神社・大鳥居で福地八幡社で随神門


北口本宮冨士浅間神社は延暦7年(788年)、甲斐守紀豊庭が現在地に社殿を造営し、さらに、元和元年(1615年)、谷村城主鳥居土佐守成次が現在の本殿を建立、貞享5年(1688年)に社殿が造修されたのである。

一時荒廃していたが、享保年間になって、富士講の行者であった村上光清が私財を投げ打って再興し、富士講の参詣者を集めるようになったのである。


社伝によると、110年、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方遠征の折に、大塚丘より富士山を遥拝し「富士には北側より登拝するのが良い」てなことをいったつーことで、祠と鳥居を建てたのが始まりといわれているのである。


その日本武尊の故事に従い建立されたのがこの大鳥居で、昭和27年に再建され、高さは17.7メートルあり朱塗りの4脚で、鳥居木造の大きさでは国内第一という威容を誇るのであるのである。


福地八幡社であるのである。

御祭神は誉田別尊(ほむたわけのみこと)であるのである。

誉田別尊は応神天皇(おうじんてんのう、仲哀天皇9年12月14日・201年1月5日- 応神天皇41年2月15日・310年3月31日)の諱(いみな)であるのである。

諱とは、この場合「生前の徳行によって死後に贈る称号、諡(おくりな)」ということであるのである。


随神門であるのである。

随神とは随身とも書き、神域に邪悪なものが入り来るのを防ぐ御門の神を祀る門であるのである。


しかし、出入りは自由であるので、自分がものすごく邪悪だと思ってる人も無事入れるので心配はいらないのである。


右側の随神の方である。

邪悪なものが入ってくると、この弓で射るのである。

平安時代以降、貴族の外出時に警護のために随従した近衛府の官人のことを随身(ずいしん、ずいじん)というのである。

日本の神道において、神を守る者として安置される随身姿の像のことを「随身」といい、「随神」とも書かれるのである。

このことから、神社の門で、門の左右に随身(随神)を安置した門のことを「随身門(随神門)」と呼ぶことが多々あるわけである。


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