気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年6月30日木曜日
随神門を行ったり来たりで浄霊浄化
まあ、この長押の上にかかっている「御嶽神社」と書いてある看板は「扁額」っつーのである。
扁額(へんがく)は、建物の内外や門などの高い位置に置かれる額(がく)、看板のことであるのである。
扁額は建物の名称を示す他、建物にかける創立者の思いなどを記すこともあるのである。
神社、寺院、城門、茶室などの伝統建築のみでなく、学校、体育館、トンネルなどの近代建築においても掲げられるのである。
その文字は著名人が揮毫することがあり、扁額そのものが書跡としての文化財の扱いを受ける場合もあるのである。
扁額は奉納したものが掲げられることがあり、特に区別して「奉納額」ということもあるのである。
扁額の元は中国に由来し、韓国などでも見られるのである。
皇帝や天皇が与える扁額を「勅額」というのである。
扁扁額額の扁額除霊大祈祷チャネリングはこの辺でお開きとして、ながーい階段を登ってきたので、どのくらい高いのか戻って見てみたのである。、
ぜんぜんたいしたことないのである。
しかし、登った皆さんの中にはふうふう肩で息して、大変そうにベンチにへたり込んでる人もおられるのである。
もちろんあたしはダンサーなのでこんな程度の階段は屁のつっぱりにもならないのである。
石井くんの古いオリンピックネタを使ってごめんねごめんねいいネタが出なかったんだよー。
あ、ベンチが空いてる。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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2011年6月29日水曜日
疱瘡社で健康祈願
疱瘡社(疫神社)である。
御祭神は山末大主神である。
まあ、とにかく今後いっさいの疫病に感染しないようにと山末大主神に無理無体な祈願をしたのである。
さて、大鳥居をくぐるとその先には朱塗り一層の造りの随神門であるのである。
平安時代以降、貴族の外出時に警護のために随従した近衛府の官人のこと随身(ずいじん、ずいしん)といい、日本の神道においては、神を守る者として安置される随身姿の像のことを「随身」というのであるが、この場合は随神とも書かれるのである。
それで、神社の門のうち、門の左右に随身(随神)を安置した門のことを「随身門」と呼ぶことがあるのである。
門の両サイドのガラス窓の中に随神が鎮座しておられるわけである。
たしかに窓の中にどなたかおられる様子であるが、くいつくとキリがないのでスルーするのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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2011年6月28日火曜日
武蔵御嶽神社手水舎で浄霊浄化で霊験ゲッツ
まあ、ゲッツってしかし、なんであるが、マニピューラ・チャクラも活性化するショッキングピンクな駒鳥売店でのカツ丼昼飯施食会法要大祈祷も無事に成就して外に出ると、武蔵御嶽神社はもう目の前であるのである。
右を見ると、茶処西須崎坊蔵屋で、ここで食後のお茶していっぷくしたいところであるが、これが、駒鳥売店のカツ丼がデカ盛りで、腹がいっぱいで、珈琲もなんにも飲む気がしないので、どんどん行くわけである。
振り返ると、まあ、門前町商店街というのか、大展望と見える看板がデカ盛りカツ丼を食った駒鳥売店であるのである。
商店街を上がると、武蔵御嶽神社の手水舎であるのである。
御岳そばだってあったのであるが、まあ、御岳そばはケーブルカーの御岳山駅前で歩き出す前に食ってきたのである。
いずれにしても、このハイキングコースになっている参道を歩いて来ると昼飯施食会供養大祈祷はガッツり回向(えこう)したくなるのでやっぱりカツ丼であるのである。
まあ、そんなことはともかく、武蔵御嶽神社御祭神を参拝するにあたって、この水で浄めるのである。
本来なら、山中の川の水に浸かるか滝に打たれて禊祓(みそぎはらえ)を済ませてから参るのが本筋であるが、その代用でこの神の水で身を清めるわけである。
ああ、ありがたいありがたい、あたしもこれで浮世の曲事(まがごと)、罪穢れを落とせるのである。
汚れが多すぎて無理でしょうか。
自分を除霊しろ?
大きなお世話ですよ。
わんこの水ワンコ樣(ペット用)手水鉢だってあるのである。
わんこもここで足を洗ってうがいをして身を浄めなければならないのであるが、わんこにうがいなんつっても無理なので、おそらく歩いてきて喉が渇いてるので、がぶがぶ飲むのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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2011年6月27日月曜日
駒鳥売店のカツ丼でチャクラがマニピューラ
駒鳥売店は全体がショッキングピンクに統一されているビビッドな土産物屋さんであるのである。
店の奥の食堂ももちろんテーブルから椅子のクッションまでピンクでビビッドであるのである。
まあ、ピンクはマニピューラ・チャクラを活性化させるので、胃腸の働きもよくなる効果がないでもないわけであるが、そのせいか、駒鳥売店の食堂は大繁盛であるのである。
このビビッドな食堂では同じような年齢の同じようなファッションのおじさん達が皆で並んでお食事中であるのである。
あたしも空いてる席に座って、カツ丼を注文したらば、お茶と漬物が出てきたのである。
漬物も皿もこの色合いであるのである。
このグループはおじさんばかりかと思ったらばおばさんもおられるのである。
それで、皆さんがどなたもどでかい一眼レフカメラとどでかいレンズとどでかい三脚をお持ちであるのである。
正面に座ってるおじさんはいっときもカメラを離さないぞという雰囲気で食事の最中もカメラを首から下げてるのである。
御岳山にたーくさんいる写真除霊マニアのサークルのひとつの皆さんであるのである。
写真除霊マニアのおじさんたちをあれこれ品定めしているうちに注文したカツ丼が出てきたのである。
もんのすごい量である。
デカ盛りのカツ丼を彷彿とさせるぐらいの量であるが、まあ、アロハのあたし以外はほとんどの人がトレッキングシューズを履いた登山客やハイカーであるわけであるから、このぐらいの量がないと文句がでるかもしれないのであるが、2人前ぐらいあるのでお得でビビッドな一品であるのである。
いつも言いますが、あたしは駒鳥売店から宣伝費はもらってないのである。
それで、カツ丼を食ってるうちに次のおじさんの団体が来て、写真除霊マニアのおじさんの団体と入れ替わったのである。
このおじさんたちはビールを飲んで大賑わいであるので会社関係の旅行みたいな雰囲気であるのであるが、聞いてみたわけではないのでどーだかわからないのである。
あたし同様に大口真神のお札をもらいに来た、地域の「講」の皆さんかもしれないのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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2011年6月26日日曜日
駒鳥売店の窓から神代欅が御開帳
まあ、今回の目的の大口真神(おおくちまがみ)のお札をもらう武蔵御嶽神社は目の前であるわけであるが、その前に昼飯供養大祈祷をしなければならないのである。
お化粧もバッチリの大女将が杖をついて「あら、いらっしゃい、そこのお兄さん、よってらしゃいよ」なんてことであたしをお招きであるのである。
お兄さんなんて呼ばれると、つい嬉しくなって、ふらふらと入りたくなるのであるが、お料理研究家象師匠としては心を鬼にして他の店も見てみなければならないのである。
あたしは昼飯供養大祈祷には常に命がけであるのである。
御岳山のうまい水炭火焼珈琲であるのである。
まあ、珈琲御神酒は食後であるので、さらに美味いものを求めてうろうろするのである。
それで、神のお告げを占ったところ、この駒鳥売店の中に御神体が鎮座ましますと出たのである。
もちろん、何がなんでもここで食わなければ、象源流占術宗匠象師匠の権威に関わるのである。
あらら、さすがは艮の金神様のお導きで、ポットを二つ持った奥さんの後ろ姿がおいしそうって、こらこら、シモネタはやめなさいって、誰にいってんだか、え?あたし?どーもえらいすまんこって。
ううむ、いかん、腹が好き過ぎてわけがわからなくなってるのである。
早く昼飯供養大祈祷を始めないと命にかかわるのである。
中にどんどん入ると、食堂の方は昼時であるので満杯であるのである。
窓際でカメラを構えて何か撮ってる人もいるのである。
いったい、窓の外に何があるんでしょうか。
窓の外はこの景色であるのである。
武蔵御嶽神社御神木の神代欅であるのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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GXR A12 28mmでブルーベリーをレスベラトロールしてみる
これは先日、親戚が持ってきてくれたブルーベリーであるのである。
それで、さっそく GXR A12 28mm で一脚で大除霊してみたのであるのである。
我が家の庭にもブルーベリーが4本あるのであるが、それらはまだ実を付けていなくて、このいただいたものは早生8わせ)の品種であるそうである。
まあ、最近のブームでどなたもご存知のことであるとは思うのであるが、健康長寿祈願のサーチュイン遺伝子にスイッチを入れるのは、腹七分目の食事とレスベラトロールであるのである。
ブルーベリーの皮にはブドウの皮と同じようにレスベラトロールが含まれているそうである。
それで、あたしはここのところ、むやみやたらとブルーベリーを食べているのである。
まあ、もともと、視力強化のためにブルーベリーを食べているのであるが、今年からさらに何がなんでもブルーベリーであるのである。
ついでに、イタドリの根にはさらにレスベラトロールが憑依霊しているそうであるのでそれも護摩を炊いて大祈祷大除霊するのである。
でも、イタドリって、あたしゃ、園芸にも農業にも草花にも興味がないので、ぜんぜんわからないのである。
なんでもその辺の道路っぷちに生えてる雑草であるそうであるので、図鑑で調べてこれでもかとねんごろに供養するのである。
しかし、イタドリは下剤でもあるそうであるので、お腹は大丈夫なのかねこれ。
Camera:RICOH GXR A12 28mm
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2011年6月25日土曜日
御嶽神社前商店街まで禊ぎ祓い除霊巡礼
ううむ、いいかげん悪霊祓い禊ぎ巡礼に飽きたところで、あちらの方から、ご夫婦とおぼしきお二人がカメラを持って来られたので、除霊してあげたのである。
ご主人とおぼしき男性は例によってごろんごろんしたデジタル一眼レフカメラにこれまたどでかいレンズを付けて首から下げておられて、奥様といおぼしき女性は小さなコンデジを手にお持ちであるのである。
まあ、たとえば象源流みたいに、ブログなんかでその撮った写真を見せるなんて場合は、このダンナのどでかい一眼レフカメラも奥さんの小さなコンデジも実際には大差ない写りであるのである。
まあ、なんだかんだいっても、このミラー跳ね上げ式のどでかい一眼レフカメラは、ファインダーだって電子式で済むわけであるから、この方式自体が無意味であるので、早晩に消滅するのは目に見えているのである。
だから、あと何年もしないうちに、「一眼レフ」と言う言葉自体が過去のものとなって、コンパクトデジタルカメラとレンズ交換式デジタルカメラてな分け方になるわけである。
まあ、しかし、とんちきなカメラマニアはともかく中にはプロまでもがこれまでの感覚から抜け出るのが怖くて、いまだに銀塩がどーのこーのなんて世迷いごとをおっしゃる人がいるわけであるので、メーカーの方でも、そこはそれ、意味があってもなくてもハイアマチュア、プロ用なんてことで高額なフルサイズ一眼レフカメラなんてことで売りたいわけである。
この先は小型も中型も大型もなくて、小さなコンデジサイズで、現在ボディ本体だけで70万円から100万円以上する中判デジタルカメラと同じ写真が撮れるようになるのは、メーカーがその気になってやろうと思えばすぐにでも出来るのは目にみえているのであるが、そこはそれ、そんなことしたら、発売当初70万円以上もしたハイビジョンの40インチのテレビが、地デジ対応なんてことでメーカーがその気になったら今では4万円台になっちまって、メーカーがこの先の販促はどうしたらいいかわからない、なんてことになっちまったのと同様で、カメラメーカーの方ではそんないいもん作ったんじゃおまんまの食い上げであるのであるから、作るわけがないのである。
だーれもおいしくないソーラーパネルの太陽光発電がさっぱり普及しないのと同様であるのである。
それで、ダンナはその首からかけたもうすぐ消滅してしまうどでかいデジタル一眼レフで撮るのかと思ったらば、やおら小さなサブのコンデジを取り出して撮り始めたのである。
なにしろサブであるのである。
カメラマニアは皆さんこのサブを持ってるのである。
まあ、気持ちは分かるが、2台もカメラを持って、さらには大きな三脚も持っての山歩きは重くないのかねしかし、と思うわけであるが、ところがこれが人間好きなことになると、この程度の重さなんか感じないというのがこれ、人間の脳の実に不思議であるのである。
まあ、あたしなんかも一時期、釣りに凝ってたときは、真冬の雪の降るしきる零下の磯で、バケツにロープを結んで塩水を汲み上げて、その中に手を浸けてもぜんぜん冷たくもなけりゃ寒くもなくて、もう、何が釣れるのかということで身体は元気溌剌でまったく疲れも知らないという、実に人間の身体の不思議を実感したわけである。
だから人間は好きなこと以外しちゃあいけないのであるが、そこはそれ浮世の沙汰はそうも言ってられなくて、いやなことばかりしなくちゃならんわけであるところがね、これまたなんとも、その人生に味がでてくるわけである。
てなことを言ってるうちに、武蔵御嶽神社前の商店街に出たのである。
振り返るとこの路地から来たのである。
このコンデジGRDⅢで路地に思い切りの念を送って大除霊大祈祷したのはいうまでもないことであるのである。
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